抹殺《まっさつ》する事ではなくて、逆に「物質の中に瀰漫《びまん》する生命」を発見する事でなければならない。
 物質と生命をただそのままに祭壇の上に並べ飾って賛美するのもいいかもしれない。それはちょうど人生の表層に浮き上がった現象をそのままに遠くからながめて甘く美しいロマンスに酔おうとするようなものである。
 これから先の多くの人間がそれに満足ができるものであろうか。
 私は生命の物質的説明という事からほんとうの宗教もほんとうの芸術も生まれて来なければならないような気がする。ほんとうの神秘を見つけるにはあらゆる贋物《にせもの》を破棄しなくてはならないという気がする。

       六

 日本の春は太平洋から来る。
 ある日二階の縁側に立って南から西の空に浮かぶ雲をながめていた。上層の風は西から東へ流れているらしく、それが地形の影響を受けて上方に吹きあがる所には雲ができてそこに固定しへばりついているらしかった。磁石とコンパスでこれらの雲のおおよその方角と高度を測って、そして雲の高さを仮定して算出したその位置を地図の上に当たってみると、西は甲武信岳《こぶしだけ》から富士《ふじ》箱根《はこね》や伊豆《いず》の連山の上にかかった雲を一つ一つ指摘する事ができた。箱根の峠を越した後再び丹沢山《たんざわやま》大山《おおやま》の影響で吹き上がる風はねずみ色の厚みのある雲をかもしてそれが旗のように斜めになびいていた。南のほうには相模《さがみ》半島から房総《ぼうそう》半島の山々の影響もそれと認められるように思った。
 高層の風が空中に描き出した関東の地形図を裏から見上げるのは不思議な見物《みもの》であった。その雲の国に徂徠《そらい》する天人の生活を夢想しながら、なおはるかな南の地平線をながめた時に私の目は予想しなかったある物にぶつかった。
 それははるかなはるかな太平洋の上におおっている積雲の堤であった。典型的なもくもくと盛り上がったまるい頭を並べてすきまもなく並び立っていた。都会の上に広がる濁った空気を透して見るのでそれが妙な赤茶けたあたたかい色をしていた。それはもうどうしても冬の雲ではなくて、春から夏の空を飾るべきものであった。
 庭の日かげはまだ霜柱に閉じられて、隣の栗《くり》の木のこずえには灰色の寒い風が揺れているのに南の沖のかなたからはもう桃色の春の雲がこっそり頭を出してのぞいているのであった。
 こんな事を始めて気づいて驚いている私の鼻の先に突き出た楓《かえで》の小枝の一つ一つの先端には、ルビーやガーネットのように輝く新芽がもうだいぶ芽らしい形をしてふくらんでいた。
[#地から3字上げ](大正十年四月、新文学)



底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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