重兵衛さんの家では差支えのない事が自分達の家ではいけないのは、どういう訳だかと不思議に思われた。そう云う種類の事がいろいろあった。その中の一つがこのにんにくの問題であったのである。そのせいでもあるか、重兵衛さんが真白な歯の間へ真白なにんにくの一片をくわえて、かりかりと噛み切る光景が鮮明なクローズアップとなって想い出される。幼時の記憶には実に些末なような事柄が非常に強く印象に残っていることがある。そういうことは意識的にはつまらぬことのようでも、意識の水準以下で、どんな思いも寄らない重大な意義をもち、どんな重大な影響を生涯に及ぼしているかもしれない、しかしそれを分析して明確な解説を与えることは容易ではないのである。自分のこの大蒜《にんにく》の場合について考えてみると、あるいはこの些細な副食物が、一方では自分等の家庭と、他方では重兵衛さんで代表された一つの階級の家庭との間のあらゆる物質的また精神的な差別の象徴として印象されたものではなかったかとも思われるのである。
 重兵衛さんの晩酌の膳を取巻いて、その巧妙なお伽噺《とぎばなし》を傾聴する聴衆の中には時々幼い自分も交じっていた。重兵衛さんの長男は自分等よりはだいぶ年長で、いつもよく勉強をしていたのでその仲間にははいらなかったが、次男の亀さんとその妹の丑尾《うしお》さんとが定連《じょうれん》のお客であった。重兵衛さんの細君《さいくん》は喘息《ぜんそく》やみでいつも顔色の悪い、小さな弱々しいおばさんであったが、これはいつも傍で酌をしたり蚊を追ったりしながら、この人にはおそらく可笑《おか》しくも何ともない話を子供と一緒に聴きながら一緒に笑っているのであった。表の河沿いの道路に面した格子窓には風鈴《ふうりん》が吊されて夜風に涼しい音を立てていたように思う。この平凡な団欒《だんらん》の光景が焼付いたように自分の頭に沁み込んでいるのはどういう訳かと考えてみる。父の長い留守の間に祖母と母と三人きりで割合に広い屋敷の中でのつつましい生活は子供心にもかなり淋しいものであったに相違ないので、この広くて淋しい家と、重兵衛さんの狭くて賑やかな家との対照が幼い頭に何かしら深い印象を刻んだのではないかと想像される。その頃のわが家を想い出してみると、暗いランプに照らされた煤《すす》けた台所で寒竹《かんちく》の皮を剥《む》いている寒そうな母の姿や、茶の間
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