う。
しかしまた、同じような考え方からすれば、結局ナポレオンも、レーニンも、ムソリニも、ヒトラーも、やはり一種のエレベーターのようなものかもしれないのである。
三 げじげじとしらみ
父は満五十歳で官職を辞して郷里に退隠した。自分の九歳の春であったと思う。その九歳の自分が「おとうさんはげじげじだよ、げじげじだよ」と言って出入りの人々をつかまえては得意らしく宣伝したものだそうである。当時の陸軍では非職のことを「げじげじ」という俗称が行なわれていた。「非」の字の形がげじげじの形態と似通《にかよ》っているためである。その当時だれかから聞きかじったこのげじげじという名称が、子供心になんとなく強く深い印象を与えたものと思われる。
中六番町《なかろくばんちょう》の家を引き払おうという二三日ぐらい前の夜半に盗賊がはいって、玄関わきの書生部屋《しょせいべや》の格子窓《こうしまど》を切り破って侵入した。ちょうど引っ越し前であったから一つ所に取りまとめてあった現金や貴重品をそっくりそのままきれいにさらって行った。かなり勝手を知った盗賊であろうという事であったが、結局犯人は見いだされなかった。この、姿を見せないで大きな結果だけを残して行った「盗賊」と、形は見えないがわが家の生活に大きな変化をもたらした「げじげじ」とが幼時の記憶の中で親密に握手をしている。
家を引き払ってからしばらくの間、鍛冶橋外《かじばしそと》の「あけぼの」という旅館に泊まっていた。現在鍛冶橋ホテルというのがあるが、ほぼあれと同位置にあったと思われる。
「あけぼの」の二階の窓から見おろすと、橋のたもとがすぐ目の下にあった。そこに乞食《こじき》が一人、いつ見ても同じ所で陽春の日光に浴しながらしらみをとっていた。言葉どおりにぼろぼろの着物をきて、頬《ほお》かぶりをした手ぬぐいの穴から一束の蓬髪《ほうはつ》が飛び出していたように思う。
しらみを取っているのだということはもちろんはじめは知らなかった。だれかから教わって始めて覚えたことである。きたない着物を引っぱっては何かしら指の先でつまみ取り、そうして口へ運んではかみつぶしている光景が、ひどく珍しく不思議なものに思われた。それがいつのぞいて見ても根気よく同じことを繰り返しているのである。ほかには何もすることがなくて、ただしらみを取るだけがこの男の一日じゅうの仕事であるかのように思われた。
このしらみ取りの光景がよほど気に入ったものと見える。当時自分のいたずら書きをした手帳が近年まで郷里の家に保存されていたが、その手帳にこの鍛冶橋外《かじばしそと》の乞食《こじき》がしらみを取っている絵がいくつとなくかいてあった。この稚拙なグロテスクのスケッチはけだし傑作であったと思う。その当時まだしらみの実物を手にしたことはなかったはずであるが、しかしその絵にはこの虫がだいたい紡錘形をした体躯《たいく》の両側に数本の足の並んだものとして、写実的にはとにかく、少なくも概念的に正しく描かれているのである。
いよいよ東京を立って横浜《よこはま》までは汽車で行ったが、当時それから西はもう鉄道はなかったので、汽船で神戸《こうべ》まで行くか人力《じんりき》で京都まで行くほかはなかった。われわれの家族は東海道見物かたがた人力のほうを選んで長い陸路の旅をつづけたのであった。第一夜は小田原《おだわら》の「本陣」で泊まったが、その夜の宿の浴場で九歳の子供の自分に驚異の目をみはらせるようなグロテスクな現象に出くわした。それは、全身にいろいろの刺青《いれずみ》を施した数名の壮漢が大きな浴室の中に言葉どおりに異彩を放っていたという生来初めて見た光景に遭遇したのであった。いわゆる倶梨伽羅紋々《くりからもんもん》ふうのものもあったが、そのほかにまたたとえば天狗《てんぐ》の面やおかめの面やさいころや、それから最も怪奇をきわめたのはシヴァ神の象徴たるリンガのはなはだしく誇張された描写であった。
げじげじから泥坊《どろぼう》、泥坊からしらみを取って食う鍛冶橋見付の乞食、それから小田原の倶梨伽羅紋々と、自分の幼時の「グロテスク教育」はこういう順序で進捗《しんちょく》して行ったのであった。この教程は今考えてみると偶然とは言いながら実によくできていたと思う。この教程の内容を今ここで分析するとすれば、おそらく数十枚の原稿紙を要するであろう。
それはとにかく、子供の時代に受けたいろいろの有益な「美的教育」のかたわらにこうした「グロテスク教育」もあったということは、つい近ごろまで意識しないでいたことである。それを意識した今日から翻ってよくよく考えてみると、こういう一見はなはだいかがわしいグロテスク教育も、美的教育と相並んで、少なくも自分の場合においてはかなり大切なものであったように思われて来るのである。
子供を育てる親たちの参考になれば幸いである。
四 宇宙線
理化学が進めば世の中に不思議はなくなるであろうと言う人がある。しかし科学が進めばかえって今まで知られなかった新しい不思議なものも出て来るのである。現在物理学者の問題となっている宇宙線などもその一例である。
宇宙のどこの果てからとも知れず、肉眼にも顕微鏡にも見えない微粒子のようなものが飛んで来て、それが地球上のあらゆるものを射撃し貫通しているのに、われわれ愚かなる人間は近ごろまでそういうものの存在を夢にも知らないでいたのである。その存在を認める唯一の手段としては、この放射線のために空気その他のガスの分子が衝撃されて電離し、そのためにそのガスの電導度にわずかながら影響し、従って特別な装置の鋭敏な電気計に感ずるという、そういう一種特別の作用を利用するほかはない。もっとも地上に存する放射性物質から発射されるいろいろの放射線もやはりこれと同様な性質をもっているのではあるが、それらのものが物質を貫通する能力に比べて比較にならぬくらい強大な貫通能力を宇宙線が享有しているために、地上の諸放射線とはおのずから区別されるのである。すなわち、数尺の鉛板あるいは百尺の水層を貫徹して後にも、なお機械に感じるのであるから、ビルディングの中の金庫の中にだいじにしまってある品物でもこの天外から飛来する弾丸の射撃を免れることはできないわけである。従ってわれわれのだいじな五体も不断にこの弾丸のために縦横無尽に射通されつつあるのは事実で、しかも一平方センチメートルごとに大約毎分一個ぐらいの割合であるから、たとえば頭蓋骨《ずがいこつ》だけでも毎分二三百発、一昼夜にすれば数十万発の微小な弾丸で射通されている。それだのに、おかしいことには、われわれはそんなことは全く夢にも知らずに平気ですましていられるのである。針一本でも突き刺されば助からぬ脳髄を、これだけの弾丸が貫通して平気でいられるのは、その弾丸が微小であるためというよりはむしろあまりに貫通力が絶大であるためであるとも考えられる。
それはとにかく、こういう弾丸が脳を貫通していて、それが絶対になんらの影響をも人間に与えないかという疑問に対しては現代の科学では遺憾ながら確定的な返答ができない。従ってそれがなんらの影響もないと断言する根拠ももちろんないのである。
宇宙線が脳を通過する間に脳を組成するいろいろな複雑な炭素化合物の分子あるいは原子の若干のものに擾乱《じょうらん》を与えてそれを電離しあるいは破壊するのは当然の事であるが、その電離または破壊が脳の精神機能の中枢としての作用になんらかの影響を及ぼすことがあるかもしれないと想像することは、決して科学的に全く不合理のことではないように思われる。
脳髄の中にある原子の数はたぶん十の二十何乗という莫大《ばくだい》な数であろう。その中の二つ三つがどうにかなったとしてもたいした事はなさそうにも思われるが、しかしまた脳髄によって営まれていると考えられる精神現象の複雑さは想像のできないほど多様なものである。たとえば、一万種の語彙《ごい》があるとしてその中からたった七語の錯列《パーミュテーション》を作るとすると約十の二十八乗だけの組み合わせができるが、われわれの脳髄はきわめて楽にその組み合わせのおのおのの区別を判別する能力をもっている。それどころか、昔でさえもたとえば論語を全部暗唱する人は珍しくなかった。それだけのきわめて卑近な簡単な一例から考えても、人間の脳の機能に関係する原子分子の一つ一つの役目が、それほど閑散な、あってもなくても済むようなものではないであろうということが想像される。そうだとすると、約二三百の宇宙線が、ある一時間に、ある人の脳髄の中にいかなる弾道を描いたかが、その脳の持ち主に何がしかの影響を及ぼすことになってもよさそうに思われて来る。たとえば「紅茶にしようか、コーヒーにしようか」というような場合に、「そのどっちか」にきめさせるという程度の影響がないとも限らない。
ある一つのスペルマトゾーンの運動径路がきわめてわずか右するか左するかでナポレオンが生まれるか生まれぬかが決定し、従って欧州の歴史が決定したと言った人があるが、ある人間のある瞬間に宇宙線が脳のどの部分をどう通過するかによって、その人の一生の運命が決定することもありはしないか。
人間の自由意志と称するものは、有限少数な要素の決定的古典的な物理的機巧では説明される見込みのないものであるが、非常に多数な要素から成り立つ統計的偶然的体系によって説明される可能性はあるであろう。そういう説明が可能となった暁には、この宇宙線のごときもその自由意志の物理的機巧の一つの重要な役目をもつものとして幅をきかすようにならないとも限らない。
のどかな春日の縁側に猫《ねこ》が二匹並んですわっている。庭の木々のこずえには小鳥の影がちらちらする。二匹の猫があちらこちらに首を曲げたり耳を動かしたりするのが、まるで申し合わせたようにほとんど同時に同一の挙動をする。ちょうど時計じかけで拍子を合わせた二つの器械のように見える。それが、どうかした拍子で、ふいと二つの猫《ねこ》の個性だか自由意志だかが現われて二つがちがった挙動をするようになる。これは二つの猫の位置のわずかな差のために生ずる些細《ささい》な音や光の刺激の差でも説明されるかもしれないが、しかしまた猫の「自由意志」にも支配されると考えられよう。その自由意志が秋毫《しゅうごう》も宇宙線に影響されないとは保証できないような気がする。
以上は言わばたわいもない春宵《しゅんしょう》の空想に過ぎないのであるが、しかし、ともかくもわれわれが金城鉄壁と頼みにしている頭蓋骨《ずがいこつ》を日常不断に貫通する弾丸があって、しかもほんの近ごろまではだれ一人夢にもそれを知らずにいたというだけは確かな事実なのである。しかもその弾丸の本性はまだだれにもわからないのである。
科学はやはり不思議を殺すものでなくて、不思議を生み出すものである。
[#地から3字上げ](昭和八年六月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※誤植が疑われる以下の箇所を「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店、1961(昭和36)年4月7日第1刷発行をもとに直しました。
○この宇宙線のごときもの→この宇宙線のごときも
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年7月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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