は似ないで却ってよく平一に似ていると妹が云った事も思い出した。妹婿は日曜などにはよく家内連れで方々へ遊びに出た。達者で居たら今日あたりはきっと団子坂へでも行っているだろうと思う。妹は平一が日曜でも家に籠って読書しているのを見て、兄さんはどうしてそう出嫌いだろう、子供だってあるではなし、姉さんにも時々は外の空気を吸わせて上げるがいいなどと云った事もある。こんな事を思い出しては無意味に微笑している。
 向うの子供づれは須田町《すだちょう》で下りた。その跡へは大きな革鞄《かばん》を抱えた爺と美術学校の生徒が乗ってその前へは満員の客が立ち塞がってしまう。窮屈さと蒸《む》された人の気息とで苦しくなった。上野へ着くのを待ち兼ねて下りる。山内へ向かう人数につれてぶらぶら歩く。西洋人を乗せた自動車がけたたましく馳け抜ける向うから紙細工の菊を帽子に挿した手代《てだい》らしい二、三人連れの自転車が来る。手に手に紅葉の枝をさげた女学生の一群が目につく。博覧会の跡は大半取り崩されているが、もとの一号館から四号館の辺は、閉鎖したままで残っている。壁はしみに汚れ、明り取りの窓|硝子《ガラス》はところどころ破れ落ちかかって煤《すす》けている。おおかた葉をふるうた桜の根には取りくずした木材が乱雑に積み上げられて、壁土が白く散らばった上には落葉が乱れている。模造日本橋は跡方もなくなって両側の土堤も半ば崩れたのを子供等が駆け上り駆け下りて遊んでいる。観覧車も今は闃《げき》として鉄骨のペンキも剥げて赤※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《あかさび》が吹き、土台のたたきは破れこぼちてコンクリートの砂利が喰《は》み出している。殺風景と云うよりはただ何となくそぞろに荒れ果てた景色である。
 平一は今年の夏妹夫婦と姪とで夜の会場へ遊びに来た事があった。姪の望むままに一同で観覧車に乗り高い杉の梢の夜風に吹かれた。あの時の楽隊の騒がしい喇叭《らっぱ》のはやしはまだ耳に残っている。そこらの氷店へはいって休んだ時には、森の中にあふるる人影がちらついて、赤い灯や青い旗を吹く風も涼しく、妹婿がいつもの地味な浴衣をくつろげ姪にからかいながらラムネの玉を抜いていた姿がありあり浮ぶ。あの時の氷店の跡などももうたしかに其処《そこ》とも分らぬ。平一は過ぎた一夜の事をさながらに一幅の画のように心に描いてみる。
 図書館の前から上野も奥へ廻ると人通りは少ない。森の梢に群れていた鴉《からす》の一羽立ち二羽立つ羽音が淋しい音を空に引く。今更らしく死んだ人を悲しむのでもなく妹の不幸を女々《めめ》しく悔やむのでもないが、朝に晩に絶間のない煩いに追われて固く乾いた胸の中が今日の小春の日影に解けて流れるように、何という意味のない悲哀の影がゆるんだ平一の心の奥底に動くのであった。
 宅へ帰ってみると妻は用達《ようた》しに出たらしい。下女はちょっと出迎えたがすぐ勝手へ引込んで音もない。今朝まであんなに騒々しかった家内はしんとしてあまりに静かである。平一は縁側に立ったまま外套も脱がず、庭の杉垣に眩《まばゆ》い日光を見ていたが、突然訳の分らぬ淋しさに襲われて座敷へはいった。机の前に坐って傍の障子を見ると、姪がいつの間にか落書したのであろう、筆太に塗りつけた覚束ない人形の絵が、おどけた顔の横から両手を拡げている。何という罪のない絵だろうとしばらく眺めていたが、名状の出来ぬ暗愁が胸にこみあげて来て、外套のかくしに入れたままの拳を握りしめて強く下唇をかんだ。
 程近い踏切を過ぎる汽車の響がしてまたもとの静かさにかえる。妹等はもう何処らまで行ったかと思って手近い旅行案内を取り上げてみた。[#地から1字上げ](明治四十一年一月『ホトトギス』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング