でこすりながら歩いているのもあった。荷車を引いた馬が異常に低く首をたれて歩いているように見えた。避暑客の往来も全く絶えているようであった。
星野温泉《ほしのおんせん》へ着いて見ると地面はもう相当色が変わるくらい灰が降り積もっている。草原の上に干してあった合羽《かっぱ》の上には約一ミリか二ミリの厚さに積もっていた。
庭の檜葉《ひば》の手入れをしていた植木屋たちはしかし平気で何事も起こっていないような顔をして仕事を続けていた。
池の水がいつもとちがって白っぽく濁っている、その表面に小雨でも降っているかのように細かい波紋が現滅していた。
こんな微量な降灰で空も別に暗いというほどでもないのであるが、しかしいつもの雨ではなくて灰が降っているのだという意識が、周囲の見慣れた景色を一種不思議な淒涼《せいりょう》の雰囲気《ふんいき》で色どるように思われた。宿屋も別荘もしんとして静まり返っているような気がした。
八時半ごろ、すなわち爆発から約一時間後にはもう降灰は完全にやんでいた。九時ごろに出て空を仰いで見たら黒い噴煙の流れはもう見られないで、そのかわりに青白い煙草《たばこ》の薄けむりのような
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