もいたら直径一メートルもあるようなまっかに焼けた石が落下して来て数分時間内に生命をうしなったことは確実であろう。
 十時過ぎの汽車で帰京しようとして沓掛《くつかけ》駅で待ち合わせていたら、今浅間からおりて来たらしい学生をつかまえて駅員が爆発当時の模様を聞き取っていた。爆発当時その学生はもう小浅間《こあさま》のふもとまでおりていたからなんのことはなかったそうである。その時別に四人連れの登山者が登山道を上りかけていたが、爆発しても平気でのぼって行ったそうである。「なになんでもないですよ、大丈夫ですよ」と学生がさも請け合ったように言ったのに対して、駅員は急におごそかな表情をして、静かに首を左右にふりながら「いや、そうでないです、そうでないです。――いやどうもありがとう」と言いながら何か書き留めていた手帳をかくしに収めた。
 ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。

 八月十七日の午後五時半ごろにまた爆発があった。その時自分は星野温泉《ほしのおんせん》別館の南向きのベランダで顕微鏡をのぞいていたが、爆音も気づかず、また気波も感じなかった。しかし本館のほうにいた水上《みなかみ》理学士は障子にあたって揺れる気波を感知したそうである。また自分たちの家の裏の丘上の別荘にいた人は爆音を聞き、そのあとで岩のくずれ落ちるような物すごい物音がしばらく持続して鳴り響くのを聞いたそうである。あいにく山が雲で隠れていて星野のほうからは噴煙は見えなかったし、降灰も認められなかった。
 翌日の東京新聞で見ると、四月|二十日《はつか》以来の最大の爆発で噴煙が六里の高さにのぼったとあるが、これは信じられない。素人《しろうと》のゴシップをそのままに伝えたいつもの新聞のうそであろう。この日の降灰は風向の北がかっていたために御代田《みよた》や小諸《こもろ》方面に降ったそうで、これは全く珍しいことであった。
 当時|北軽井沢《きたかるいざわ》で目撃した人々の話では、噴煙がよく見え、岩塊のふき上げられるのもいくつか認められまた煙柱をつづる放電現象も明瞭《めいりょう》に見られたそうである。爆音も相当に強く明瞭に聞かれ、その音の性質は自分が八月四日に千《せん
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