家内じゅうのものが寄り集まってこの大きな奇蹟《きせき》を環視した。そのような事を繰り返す日ごと日ごとに、おぼつかない足のはこびが確かになって行くのが目に立って見えた。単純な感覚の集合から経験と知識が構成されて行く道筋はおそらく人間の赤子の場合と似たものではあるまいかと思われた。そしてその進歩が人間に比べて驚くべく急速である事も拒み難い。このように知能の漸近線《アシンプトート》の近い動物のほうが、それの遠い人間に比べてそれに近づく速度の早いという事実はかなり注意すべき事だと思ったりした。物質に関する科学の領域にはこれに似た例はまれであろう。
二匹の子猫はだいたい三毛に似た毛色をしていた。一つを「太郎」もう一つを「次郎」と呼んでいた。あとの二匹は玉のような赤黄色いのと、灰色と茶の縞《しま》のような斑《ぶち》のあるのとで、前のを「あか[#「あか」に傍点]」あとのを「おさる[#「おさる」に傍点]」と名づけていた、おさる[#「おさる」に傍点]は顔にある縞がいわゆるどこか猿《さる》ぐまに似ていたからだれかがそう名づけたのである。そうして背中の斑が虎《とら》のようだから「鵺《ぬえ》」だというものもあった。この鵺だけが雌で、他の三匹はいずれも男性であった。
生長するにつれて四匹の個性の相違が目について来た。太郎はおっとりして愛嬌《あいきょう》があって、それでやっぱり男らしかった。次郎もやはり坊ちゃんらしい点は太郎に似ていたが、なんとなく少し無骨で鈍なところがあった。赤は顔つきからして神経的な狐《きつね》のようなところがあったが、実際|臆病《おくびょう》かあるいは用心深くて、子供らしいところが少なかった。おさるは雌だけにどこか雌らしいところがあって、つかまりでもするとけたたましい悲鳴をあげて人を驚かした。
玉をつれて来て子猫《こねこ》の群れへ入れると、赤と次郎はひどくおびえて背を丸く立てて固くしゃちこばったが、太郎とおさるはじきに慣れて平気でいた。玉のほうは相変わらずきわめて冷淡な伯父《おじ》さんで、めんどうくさがってすぐにどこかへ逃げて行ってしまった。
四匹の子猫に対する四人の子供の感情にもやはりいろいろの差別があった。これはどうする事もできない自然の理法であろう。愛憎はよくないと言って愛憎のない世界がもしあったらそれはどんなにさびしいものかもわからない。
子猫はそれぞれ
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