子規自筆の根岸地図
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)その一つは端書《はがき》で

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)牛込|矢来町《やらいちょう》三番地

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和九年八月『東炎』)
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 子規の自筆を二つ持っている。その一つは端書《はがき》で「今朝ハ失敬、今日午後四時頃夏目来訪只今(九時)帰申候。寓所ハ牛込|矢来町《やらいちょう》三番地|字《あざ》中ノ丸丙六〇号」とある。片仮名は三字だけである。「四時頃」の三字はあとから行の右側へ書き入れになっている。表面には「駒込|西片町《にしかたまち》十番地いノ十六 寺田寅彦殿 上根岸《かみねぎし》八十二 正岡|常規《つねのり》」とあり、消印は「武蔵東京|下谷《したや》 卅三年七月二十四日イ便」となっている。これは、夏目先生が英国へ留学を命ぜられたために熊本を引上げて上京し、奥さんのおさとの中根氏の寓居にひと先ず落着かれたときのことであるらしい。先生が上京した事をわざわざ知らしてくれたものと思われる。その頃自分は大学二年生であったが、その少し前に郷里から妻を呼びよせて西片町に家をもっていたのである。
「今日」とあるのは七月二十三日だろうと思われるのは消印が二十四日のイ便であるのに「只今(九時)帰申候」とあるからである。夏目先生が帰ってからすぐに筆をとってこの端書をかき、そうして、おそらくすぐに令妹律子さんに渡してポストに入れさせたのではないかとも想像される。それが最後の集便時刻を過ぎていたので消印が翌日の日附になったものであろう。
 それはとにかく「四時」「九時」と時刻を克明に書いている所に何となく自分の頭にある子規という人が出ているような気がする。そうかと思うと日附は書いてないのも何となく面白い。
 配達局の消印も明瞭で駒込局のロ便になっている。一体にその頃の消印ははっきりしていたが、近頃のは捺《お》し方がぞんざいで不明なのが多いような気がする。こんな些末なところにも現代の慌だしさが出ているかもしれないと思われる。
 もう一つの子規自筆の記念品は、子規の家から中村|不折《ふせつ》の家に行く道筋を自分に教えるために描いてくれた地図である。子規常用の唐紙に朱罫《しゅけい》を劃した二十四字十八行
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