には、実験室内でできるだけ気流をならしておいて、その中で養ってあるとんぼにいろいろの向きからいろいろの光度の照明をして実験することもできなくはない。しかし実験室内に捕われたとんぼがはたして野外の自由なとんぼと全く同じ性能をもつと仮定してよいかどうかという疑問は残る。
いちばん安全な方法はやはり野外でたくさんの観測を繰り返し、おのおのの場合の風向風速、太陽の高度方位、日照の強度、その他あらゆる気象要素を観測記録し、それに各場合の地形的環境も参考した上で、統計的分析法を使用して、各要素固有の効果を抽出することであろうと思われる。
現在測候所で用いているような風速計では感度が不十分であるから、何か特別弱い風を測るに適した風速計の設計が必要になるであろうと思われた。また一方とんぼの群れが時には最も敏感な風向計風速計として使われうるであろうということも想像された。
風速によってとんぼの向きの平均誤差が減少するであろうと想像される。その影響の量的数式的関係なども少し勉強すれば容易に見つかりそうに思われる。アマチュア昆虫生態学者《こんちゅうせいたいがくしゃ》にとっては好個のテーマになりはしないかという気がしたのであった。
とんぼがいかにして風の方向を知覚し、いかにしてそれに対して一定の姿勢をとるかということがまた単に生物学者生理学者のみならず、物理学者工学者にまでもいろいろの問題を提供するであろうと思われた。
人間をとんぼに比較するのはあまりに無分別かもしれない。しかし、ある時代のある国民の思想の動向をある方向に引き向ける第一第二の因子が何かしら存在している、それを観察し認識する能力が現在のわれわれには欠けているのではないかという気がする。そうしていっそう難儀なことはその根本的な無知を自覚しないでほんとうはわからないことをわかったつもりになったりあるいは第二次以下の末梢的《まっしょうてき》因子を第一次の因子と誤認したりして途方もない間違った施設方策をもって世の中に横車を押そうとするもののあることである。
人類を幸福に世界を平和に導く道は遼遠《りょうえん》である、そこに到達する前にまずわれわれは手近なとんぼの習性の研究から完了してかからなければならないではないか。
このとんぼの問題が片付くまでは、自分にはいわゆる唯物論的社会学経済学の所論をはっきり理解することが困難なように思われるのである。
三 三上戸
あるビルディングの二階にある某日本食堂へ昼飯を食いに上がった。デパートの休日でない日はそれほど込み合っていない。
室内を縦断する通路の自分とは反対側の食卓に若い会社員らしいのが三人、注文したうなぎどんぶりのできるのを待つ間の談笑をしている。もっぱら談話をリードしているその中の一人が何か二言三言言ったと思うと他の二人が声をそろえて爆笑する、それに誘われて話し手自身も愉快そうに大きく笑っている。三四秒ぐらいの週期で三声ぐらい繰り返して笑うと黙ってしまう。また二言三言何か言ったと思うと再び同じような爆笑が起こってそれが三声つづく。また何かいう。また笑う。
そういうかなり規則正しい爆笑の週期的発作が十秒ないし二十秒ぐらいの間隔をおいて実に根気よく繰り返されていた。
何を話しているか何がおかしいかわからない傍観者の自分には、この問題的な爆笑が全く機械的な現象のように思われて来た。何かわりに簡単なゼンマイ仕掛けのメカニズムで、これと同じような動作をする三人組のロボットを造ろうと思えばいつでも造れそうな気がした。
この三人の話していることは何であったにせよ、それと全く同じことを同じ三人がいついかなる場所で話し合ってもこの場合と同じように笑えるかどうか。どうもそうとは限らないであろうと思われた。この場合にこの人たちをこんなにたわいなく笑わせているのは談話の内容よりもむしろこれらの人の内的外的な環境条件ではないかという気がした。
午前中忙しく働く。それが正午のベルだか笛だかで解放され向こう一時間の自由を保証されて食堂へかけ込む。腹が相当に減っている。まさに眼前に現われんとするごちそうへの期待が意識の底層に軽く動揺している。こういう瞬間が最もたわいのない軽口とそれに対する爆笑を誘発するに適当なものではないか。とにかく、これも未来の生理学的心理学者の研究題目の一つにはなりそうだと思われた。
そのうちうなぎどんぶりが三人の前に運ばれて食事が始まると同時に今までの間欠的爆笑がぴたりと止まってしまった。食事をしながらも低声で談話は進行していたが、今までとちがって話が急に何か知らないがまじめな軌道へはいり込んだかのように見えた。
食事のあとでりんごか何か食っていたようであったが、とにかく三人のムードが、食前とはすっかり一変して、なんとなく気重く落ち着いた、眠ったいような雰囲気《ふんいき》がその食卓の上にただよっているように感ぜられた。
自分の席から二つ三つ前方の席に、向こうをむいて腰かけている老人の後ろ姿が見えていた。だいぶよれよれになった背広を着て、だん袋のようなズボンをはいているようであった。自分より前から来ていたが注文の品が手間どるので少しじりじりしているらしくなんとなく落ち着かない挙動がうしろから見ている自分の目についた。
向こう側の三人の爆笑とそれに続く沈静との週期的交代の観察に気を取られて、しばらく前方の老人の事を忘れていたが、突然、実に突然にその老人が卓上の呼び鈴をやけくそにたたきつけるけたたましい音に驚かされてそのほうに注意をよびもどされた。
老人は近づいて来た給仕を相手に妙に押しつぶしたような声で何か掛け合いをはじめている。「いったいこれはいくらじゃ、向こうのお客は五十銭払った。それだのにわしは七十銭じゃ。――いや、器はちがわん……」といったようなはなはだやるせのない苦情を言っているらしい。給仕頭《きゅうじがしら》と見える若い白服の男がやって来て小声で何か弁解している。老人はまた「ほかの客にはタオルを持って来るのに、わしには持って来んじゃないか」とも言っているようである。
これが二十年前のこういう種類の飲食店だと、店の男がもみ手をしながら、とにかく口の先で流麗に雄弁なわび言を言って、頭をぴょこぴょこ下げて、そうした給仕女をしかって見せるところであろうが、時代の一転した一九三五年の給仕監督はきわめて事務的に冷静に米国ふうに事がらを処理していた。媚《こ》びず怒らず詐《いつわ》らず、しかも鷹揚《おうよう》に食品定価の差等について説明する、一方ではあっさりとタオルの手落ちを謝しているようであった。
しかし悲しいことにはこのたぶん七十歳に遠くはないと思われる老人には今日が一九三五年であることの自覚が鮮明でないらしく見えた。
この老人のやるせなき不平と堪え難き憤懣《ふんまん》を傍観していた自分は、妙に少し感傷的な気分になって来た。なんだかひどくさびしいような心細いようなえたいの知れない気持ちが腹の底からわいて来るように思われた。
ずっと前のことであるが、ある夏の日|銀座《ぎんざ》の某喫茶店《ぼうきっさてん》に行っていたら、隣席に貧しげな西洋人の老翁がいて、アイスクリームを食っていた。それが、通りかかったボーイを呼び止めて何か興奮したような大声で「カントクサン、呼んでください。カントクサン、呼んでください」と繰り返している。やがてやって来たボーイ頭《がしら》をつかまえて「このアイスクリーム、チトモツメタクナイ。ワタクシもう三つ食べました。チトモツメタクナイ。――。ツメタイノ持って来てください。ツメタイアイスクリーム持って来てください」というのである。
結局シャーベットか何かを持って来たのでそれでやっとどうやら満足したらしく、傍観者の自分もそれでやっと安堵《あんど》の思いをしたことであった。
その「つめたいアイスクリーム」の「つめたい」に特別のアクセントを置いて、なんべんとなく、泣くように訴えるように恨むように、また堪え難い憤懣《ふんまん》を押しつぶしたような声で繰り返している片言まじりの日本語を聞いていたときに、自分はやはり妙に悲しいようなさびしいような情けないような不思議な感じに襲われて、その当時の印象がいつまでも消えないで残っていた。それも今この眼前の老人の「七十銭」と「タオル」の事件に際して再び如実に思い出したのであった。
老人がその環境への不満から腹を立てている。しかし周囲の人はそれをきわめて軽く取り扱っている、そうした光景を見るとき自分は子供の時分から妙に一種の悲哀に似たあるものを感じる癖があったような気がする。小説や戯曲でもそういう場面がしばしば自分を感傷的にした。あらゆる悲劇中でそういうものをいちばん悲劇的に感ぜられたような気がする。なぜだかわからない。自分が年を取って後にもしかあんなになったらさぞさびしいだろうと思う、子供としてははなはだしい取り越し苦労のせいであったろうとばかりも思われない。何か幼時の体験と結びついた強い印象の影響かもしれない。
今ではもう自分自身が老人になりかけている。人が見たらもうなっているのかもしれない。そろそろもうアイスクリームの冷たくないのに屈辱の余味を帯びた憤懣を感じ、タオルの偶然な差別待遇にさえ世に捨てられでもしたような悲しみと憤りを覚えることの可能な年齢に近づきつつあるのかもしれない。
こんな事をうかうか考えている自分を発見すると同時にまた、現在この眼前の食堂の中に期せずして笑い上戸おこり上戸泣き上戸|三幅対《さんぷくつい》そろった会合があったのだという滑稽《こっけい》なる事実に気がついたのであった。
[#地から3字上げ](昭和十年十一月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年9月5日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:多羅尾伴内
2003年11月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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