気がする。物理学の方面だけで見ると一体にドイツ学派の仕事は単色で英国派の仕事には色彩の陽炎《かげろう》とでもいったものを伴ったものが多いような気がするが、それは唯そんな気がするだけで具体的の説明は六《むつ》かしい。

         三

 人間の個性の差別が実に些細なことにまで現われるという一つの実例をついこの頃見付け出した。ある研究所の廊下に所員の姓名を記した木の札が掛け並べてある。片側は墨で片側は朱で書いてあるのを、出勤したときは黒字の方を出し、帰るときは裏返して朱字の方を出しておくのである。粗末な白木の札であるから新入りでない人の札はみんな手垢で薄黒く汚れている。ところが、人によっては姓名の第一番の文字のところだけに真黒に指の跡を印している人があるかと思うと、また二番目の字を汚している人もある。そうかと思うとまた下の二字を一様に汚して上の二字は綺麗に保存しているのもある。一方ではまたちっともそうした汚点をつけていない人もある。こうした区別が何を意味するかはそう簡単な問題ではないであろう。しかし、ことによるとこの姓名札の汚し方の同じ型に属する人には自ずから共通な素質があるかもしれない。そうして、人間の性情の型を判断する場合にこの方がむしろ手相判断などよりも、もっと遥かに科学的な典拠資料になりはしないかと想像される。
 少なくも、真黒な指の痕《あと》をつけている人は、名札の汚れなどという事には全然無関心な人であるというくらいのことは云われそうである。わざわざ痕をつけて、それが日々黒くなるのを楽しみにする人はめったになさそうに思われる。
 気が付いてみると自分は一番上の字の真中を真黒にしている。同じ仲間が近所に二人はある。この二人と自分とだいぶ似たところがあるらしい。自分の場合では、掛けた札がちゃんと後ろの板に密着しないと気持が悪いから掛けたあとでぱちんと札を押しつける、それを押しつけるには釘に近い上の方を押すのが一番機械的に有効だからそうするらしい、勿論無意識にそうするのである。
 釘に引っかける札の穴の周囲を疵《きず》だらけにしている人と、そうでない人との区別もあるらしい。これと汚れ方との相関もあるらしいがまだよく調べてみない。
 ともかくも恐ろしいことである。「悪いことは出来ない」わけである。

         四

 ある家の告別式に参列して親類の列に
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