來[#「來」は底本では「出」]た。牛の毛色が燃えるやうに光つて見えた。それはどうしても此世のものではなくて誰かの名畫の中の世界が眼前に活きて動いて居るとしか思はれなかつた。
殆んど感傷的になつて見惚れて居る景色の中には、こんなに日が暮れかゝつてもまだ休まず働いて居る農夫の家族が幾組となく居た。赤兒をおぶつて、それをゆさぶるやうな足取をして、麥の芽をふんで居る母親達の姿が哀れに見えた。かうして日の暮れる迄働いておいて朝はもう二時頃から起きて大根の車の後押をして市場へ出るのであらう。
市に近づくに從つて空氣の濁つて來るのが眼にも鼻にも感じられた。風のない市の上空には鉛色の煙が物凄く棚引いて居た。
若しも事情が許すなら、私は此の廣い平坦な高臺の森影の一つに小さな小家を建てゝ、一週の中の或一日を其處に過したいと思つたりした。此れ迄色々の所謂勝地に建つて居る別莊などを見ても、自分の氣持にしつくりはまるやうなものはこれと云つて頭に止まつて居ない。海岸は心騷がしく、山の中は物恐ろしい。立派な大廈高樓はどうも氣樂さうに思はれない。頼まれてもさういふ處に住む氣にはなれさうもない。しかし此の平板な野の森陰の小屋に日當りのいゝ縁側なりヴェランダがあつて其處に一年の中の選ばれた數日を過すのはそんなに惡くはなささうに思はれた。
ついそんな田園詩の幻影に襲はれた程に今日の夕陽は美しいものであつた。
永い間宅にばかりくすぶつて居て、適※[#二の字点、1−2−22]《たま/\》此の好い時節に外の風に吹かれると氣持はいゝやうなものゝ、餘りに美しい自然と其處にも附き纏ふ世の中の刺戟が病餘の神經には少し利き過ぎるやうでもある。もうそろ/\寒くなるし、寫生行もしばらく中止していよ/\靜物でもやり始めなければなるまいと思つて居る。
底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日発行
初出:「中央公論」
1923(大正11)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:多羅尾伴内
2003年11月11日作成
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