た。電氣を焚くといふ言葉が面白かつた。日本語もかういふ工合に活用させる人ばかりだつたら、字を見なければ分らない或は字を見ても讀めないやうな生硬な術語などをやめてしまつて、もう少し親しみのあるものに代へる事が出來さうである。國語調査會とかいふものでかういふいゝ言葉を調べ上げたらよささうに思はれた。
浦和の停車場からすぐに町外れへ出て甘藷や里芋やいろいろの畑の中をぶら/\歩いた。とある雜木林の出つ鼻の落葉の上に風呂敷をしいて坐り込んで向ひの丘を寫し始めた。平生は唯美しいとばかりで不注意に見過して居る秋の森の複雜な色の諧調は全く臆病な素人繪かきを途方にくれさせる。未だ眼の鋭くない吾々初學者に取つては恐らく此れ程いゝ材料はあるまい。しかし黒人《くろうと》になれば多分唯一面のちやぶ臺、一握の卓布の面の上にでも矢張りこれだけの色彩の錯綜が認められるのであらう。それ程になるのも考へものであるとも思ふが、併し假令《たとひ》樂しみ事にしろやつぱり其處迄行かなければつまらないとも思ふ。
畑に栽培されて居る植物の色が一切れ毎にそれ/″\一つも同じものはない。打返されて露出して居る土でも乾燥の程度や遠近の差でみんなそれ/″\に違つた色のニュアンスがある。それ等の可也に不規則な平面的分布が透視法《パースペクチーヴ》といふ原理に統一されて、其處に美しい幾何學的の整合を示して居る。此等の色を一つ取りかへても、線を一つ引き違へても、もう駄目だといふ氣がする。
十歳位の男の子が二人來て後の方で見て居た。「いゝねえ」「いゝ色だねえ」などゝ云つて居るのが矢張り子供らしい世辭のやうに聞こえた。遠慮深い小さな聲で云つて居るのであつたが流石に昨日の大宮の車夫とはちがつて、畫の中の物體を指摘したりしないで「色」を云つたりする處がそれだけ新しい時代の子供であるのかも知れない。
此處はいゝ加減に切上げて丘の上の畑の中を歩いた。黍を主題にしたのが一枚描き度かつたがどうも工合のいゝ背景が見付からなかつた。同じ畑の中を何遍も往復して居るのを少し離れた畑で働いて居た農夫が怪しんで居るやうで少し氣が引けた。自分が農夫になつて見た時に此の繪具箱をぶら下げて歩いて居る自分が如何にも東京ののらくら[#「のらくら」に傍点]者に見えるので心細かつた。とう/\鐵道線路の傍の崖の上に腰かけて、一枚ざつとどうにか書き上げてしまつた。
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