れたのを描いた。近所の子供らが入り代わり何人となくのぞきに来た。このへんの子供にはだいぶ専門的の知識があって「チューブ」だの「パレット」だのという言葉を言っているのが聞こえた。そして浦和へんの子供とはすべての質が違っていた。
 帰りに、腰に敷いていた大きな布切れのちりを払おうとした拍子に取り落とした。それが溝の崖のずっと下のほうに引っかかって容易には取り上げる事ができないので、そのままにして帰った。この布切れが今でもやっぱり引っかかっているかもしれない。この日かいた絵を見ると、絵の下のほうにこの布切れがぶら下がっているような気がしてしかたがない。人殺しをした人間のある場合の心持ちはどこかこれと似たものがあるのかもしれない。(中略)

 十月二十九日、土曜。王子《おうじ》電車で小台《おだい》の渡しまで行った。名前だけで想像していたこの渡し場は武蔵野《むさしの》の尾花の末を流れる川の岸のさびしい物哀れな小駅であったが、来て見るとまず大きな料理屋兼旅館が並んでいる間にペンキ塗りの安西洋料理屋があったり、川の岸にはいろんな粗末な工場があったり、そして猪苗代湖《いなわしろこ》の水力で起こした電圧幾万幾千ボルトの三相交流が川の高い空をまたいでいるのに驚かされた。
 先月からの雨に荒川《あらかわ》があふれたと見えて、川沿いの草木はみんな泥水《どろみず》をかむったままに干上がって一様に情けない灰色をしていた。全色盲の見た自然はあるいはこんなものだろうかという気がして不愉快であった。
 高圧電線の支柱の所まで来ると、川から直角に掘り込んで来た小さな溝渠《こうきょ》があった。これに沿うて二条のトロのレールが敷いてあって、二三町隔てた電車通りの神社のわきに通じている。溝渠《こうきょ》の向こう側には小規模の鉄工場らしいものの廃墟《はいきょ》がある。長い間雨ざらしになっているらしい鉄の構造物はすっかり赤さびがして、それが青いトタン屋根と美しい配合を示している。煙突なども倒れかかったままになってなんとなく荒れ果てたながめである。この工場のために掘ったかと思われる裏のため池には掘割溝《ほりわりみぞ》から川の水を導き入れてあった。その水門がくずれたままになっているのも画趣があった。池の対岸の石垣《いしがき》の上には竹やぶがあって、その中から一本の大榎《おおえのき》がそびえているが、そのこずえの紅や
前へ 次へ
全18ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング