して努力する時、そういう時には病的に過敏になった私の胃はすぐになんらかの形式で不平を申し出した。しかしこれは手や指を使うというよりもむしろ頭を使うためらしく思われた、芝を刈るというような、機械的な、虚心でできる動作ならばおそらくそんな事はあるまいと思われた。少なくも一日に半時間か一時間ずつ少しも急いだり努力したりしないで、気楽にやっていればさしつかえはあるまい。こんな事を考えながら私は試みに両腕を動かして鋏《はさみ》を使うまねをしてみた。まだ実際には経験しない芝刈りの作業を強く頭に印象させながら腕を動かしてみたが、腹に力を入れるような感覚は少しも生じて来ないらしかった。念のために今度は印字機に向かったつもりになって両手の指を動かしているといつのまにか横隔膜の下のほうが次第に堅く凝って来るのを感じた。
このような仮想的の試験があてになるかどうかは自分にも曖昧《あいまい》であったが、ともかくも一つ実物について試験をしてみて、もしさわりがありそうであったら、すぐにやめればよいと思った。
風のない蒸し暑いある日の夕方私はいちばん末の女の子をつれて鋏《はさみ》を買いに出かけた。燈火の乏しい樹木の多い狭い町ばかりのこのへんの宵闇《よいやみ》は暗かった。めったに父と二人で出る事のない子供は何かしら改まった心持ちにでもなっているのか、不思議に黙っていた。私も黙っていた。ある家の前まで来ると不意に「山本《やまもと》さんの……セツ子さんのおうちはここよ」と言って教えた。たぶん幼稚園の友だちの家だろうと思われた。「セツ子さんは毎朝おとうさんが連れて来るのよ。」……「おとうさんはいつになったらお役所へ出るの。……出るようになったら幼稚園までいっしょに行きましょうね。」こんな事をぽつりぽつり話した。表通りへ出るとさすがに明るかった。床屋のガラス戸からもれる青白い水のような光や、水菓子屋の店先に並べられた緑や紅や黄の色彩は暗やみから出て来た目にまぶしいほどであった。しかしその隣の鍛冶屋《かじや》の店には薄暗い電燈が一つついているきりで恐ろしく陰気に見えた。店にはすぐに数えつくされるくらいの品物――鍬《くわ》や鎌《かま》、鋏《はさみ》や庖丁《ほうちょう》などが板の間の上に並べてあった。私の求める鋏《はさみ》はただ二つ、長いのと短いのと鴨居《かもい》からつるしてあった。
ちょうど夕飯をすまし
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