葉が金色に輝いている。その上をかすめて時々何かしら小さな羽虫が銀色の光を放って流星のように飛んで行く。
 それよりも美しいのは、夏の夜がふけて家内も寝静まったころ、読み疲れた書物をたたんで縁側へ出ると、机の上につるした電燈の光は明け放された雨戸のすきまを越えて芝生一面に注がれている。まっ暗な闇《やみ》の中に広げられた天鵞絨《びろうど》が不思議な緑色の螢光《けいこう》を放っているように見える。ある時はそれがまた底の知れぬ深い淵《ふち》のように思われて来る事もある。これを見ていると疲れ熱した頭の中がすうっと涼しくさわやかに柔らいで来る。私は時々庭へおりて行っていろいろの方向からこの闇の中に浮き上がった光の織物をすかして見たりする。それからそのまん中に椅子《いす》を持ち出して空の星を点検したり、深い沈黙の小半時間を過ごす事もある。
 芝の若芽が延びそめると同時に、この密生した葉の林の中から数限りもない小さな生き動くものの世界が産まれる。去年の夏の終わりから秋へかけて、小さなあわれな母親たちが種属保存の本能の命ずるがままに、そこらに産みつけてあった微細な卵の内部では、われわれの夢にも知らない間に世界でいちばん不思議な奇蹟《きせき》が行なわれていたのである。その証拠には今試みに芝生《しばふ》に足を入れると、そこからは小さな土色のばったや蛾《が》のようなものが群がって飛び出した。こおろぎや蜘蛛《くも》や蟻《あり》やその他名も知らない昆虫《こんちゅう》の繁華な都が、虫の目から見たら天を摩するような緑色の尖塔《せんとう》の林の下に発展していた。
 この動植物の新世代の活動している舞台は、また人間の新世代に対しても無尽蔵な驚異と歓喜の材料を提供した。子供らはよくこれらの小さな虫をつかまえて白粉《おしろい》のあきびんへ入れたりした。なんのためにそんな事をして小さな生物を苦しめるかというような事は少しも考えてはいなかった。それでも虫の食物か何かのつもりで、むしり取った芝の葉をびんの中へ詰め込んで、それで虫は充分満足しているものと思っているらしかった。そのまま忘れて打っちゃっておいたびんの底にひっくり返って死んでいるからだを見つけた時はやはりいくらかかわいそうだとは思うらしい。それで垣根《かきね》のすみや木の下へ「虫のお墓」を築いて花を供えたりして、そういう場合におとなの味わう機微な感情の
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