しまき》に結った顔色の妙に黄色いその女と、目つきの険しい男とをこの出刃庖丁と並べて見た時はなんだか不安なような感じがした。これに反して私の鋏がなんだか平和な穏やかなもののように思われた。
長い鋏をぶら下げて再び暗い屋敷町へはいった。今まで黙っていた子供は急に饒舌《じょうぜつ》になった。いつ芝を刈り始めるのか、刈る時には手伝わしてくれとか、今夜はもう刈らないかとか、そんな事をのべつにしゃべっていた。父が自分で芝を刈るという事がよほど珍しいおもしろい事ででもあるように。
しかし私自身にとっても、それはやはり珍しく新しい事には相違なかった。
宅《うち》へ帰ると家内じゅうのものがいずれも多少の好奇心と、漠然《ばくぜん》としたあすの期待をいだきながらかわるがわるこの新しい道具を点検した。
翌日は晴天で朝から強い日が照りつけた。あまり暑くならないうちにと思って鋏を持って庭へ出た。
どこから刈り始めるかという問題がすぐに起こって来た。それはなんでもない事であったがまた非常にむつかしい問題でもあった。いろいろの違った立場から見た答解はいろいろに違っていた。できるだけ短時間に、できるだけ少しの力学的仕事を費やして、与えられた面積を刈り終わるという数学的の問題もあった。刈りかけた中途で客間から見た時になるべく見にくくないようにという審美的の要求もあった。いちばん延び過ぎた所から始めるという植物の発育を本位に置いた考案もあった。こんな事にまで現代ふうの見方を持って来るとすれば、ともかくも科学的に能率をよくするために前にあげた第一の要求を満たす方法を選んだほうがよさそうに思われた。能率を論ずる場合には人間を器械と同様に見るのであるが、今の場合にはそれでは少し困るのであった。もともと自分の健康という事が主になっている以上、私はこの際最も利己的な動機に従って行くほかはないと思ったので、結局日陰の涼しい所から刈り始めるというきわめて平凡なやり方に帰ってしまった。
するとまたすぐに第二の問題に逢着《ほうちゃく》した。芝生《しばふ》とそれより二寸ぐらい低い地面との境界線の所は芝のはえ方も乱雑になっているし、葉の間に土くれなどが交じっているために刈りにくくめんどうである。その上に刈り取った葉がかぶさったりするとなおさら厄介《やっかい》であった。それでまずこの境界線のはえぎわを整理した後に平
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