れだけにまた、自分にとっては三十余年前の冬のある曇り日のこの珍しい体験が、過去の想い出の中に聳《そび》え立った一里塚のように顕著な印象を止めているものと思われる。
「鴫突き」は鉄砲で打つのと比べれば実に原始的な方法のようであるが、また考え方によると一つのスポーツとしてはかなり興味の深いものではないかという気もする。単になるべく沢山の鳥を殺して猟嚢《りょうのう》を膨《ふく》らませるという目的ならとにかく、獲物と相対してそれに肉薄する緊張が加速度的に増大しつつ最後に頂点に到達するまでの「三昧」の時間に相当の長さのあることだけから見てもこれは決してそれほどつまらないものではないだろうと思われる。少なくも鴨猟場《かもりょうば》で「鴨をしゃくう」のに比べると猟者の神経の働かせ方だけでも大変な差別があるような気がするのである。
 古いことがぼつぼつ復活する当代であるから、もしかすると、どこかでまたこの「鴫突き」の古いスポーツが新しい時代の色彩を帯びて甦生《そせい》するようなことがないとも云われないであろう。
 この方法が鴫以外のいかなる鳥にまで応用出来るかということも、鳥類研究家には一つの新しい問題になりはしないかと思う。これがもし他の色々の鳥にも応用されるとなれば、鳥を少しも傷つけないで、生きた健全な標本を得るための一つのいい方法になるかもしれないという空想も起って来る。
 しかしこれらの点についてはむしろ本誌の読者の側から示教を仰ぐべきであろう。以上はただ全くの素人の想い出話のついでに思い付くままの空想を臆面もなく書付けて見ただけである。
[#地から1字上げ](昭和九年十二月『野鳥』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana Ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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