鴫突き
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)「鴫突《しぎつ》き」のことは
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時々|宅《うち》の庭の手入れなどに雇っていた
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)蜻※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]《とんぼ》
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「鴫突《しぎつ》き」のことは前に何かの機会に少しばかり書いたことがあったような気がするが、今はっきり思い出せないし、それに、事柄は同じでも雑誌『野鳥』の読者にはたぶんまた別な興味があるかもしれないと思うからそういう意味で簡単にこの珍しい狩猟法について書いてみることとする。
高知市附近で「鴫突き」というのは、蜻※[#「虫+廷」、第4水準2−87−52]《とんぼ》を捕えるのと同じ恰好の叉手形《さでがた》の網で、しかもそれよりきわめて大形のを遠くから勢いよく投げかけて、冬田に下りている鴫を飛び立つ瞬間に捕獲する方法である。「突く」というのは投槍のように網を突き飛ばす操作をそう云ったものではないかと思う。何しろ、もう三十余年前にただ一度実見したきりなので記憶がはなはだたしかでないが、網を張った叉手の二等辺三角形の両辺の長さが少なくも九尺くらいあり、柄竿の長さもほぼそのくらいあるかと思われ、とにかくずいぶん大きなものであるので、それを自由に操作するには相当の腕力を要するものであったように思う。網目はどのくらいの大きさであったか覚えないが、霞網《かすみあみ》などよりはよほどがっしりしたものであったらしい。
明治三十四年の暮であったと思う。病気で休学して郷里で遊んでいたときのことであるが、病気も大体快くなってそろそろ退屈しはじめ、医者も適度の運動を許してくれるようになった頃のことであった。時々|宅《うち》の庭の手入れなどに雇っていた要太という若者があって、それが「鴫突き」の名人だというので、ある日それを頼んで連れて行ってもらった。
それは薄曇りの風の弱い冬日であったが、高知市の北から東へかけての一面の稲田は短い刈株を残したままに干上がって、しかもまだ御形《ごぎょう》も芽を出さず、落寞として霜枯れた冬田の上にはうすら寒い微風が少しの弛張《しちょう》もなく流れていた。そう
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