に祭官、巫術《ふじゅつ》師らの行なった仕事の一部は今日では彼らの後裔《こうえい》の科学者の手によって行なわれておるべきはずである。そうして、ある見方で見れば実際それがそうなっているのである。たとえば五穀の収穫や沿海の漁獲や採鉱|冶金《やきん》の業に関しては農林省管下にそれぞれの試験場や調査所などがあって「科学的政道」の一端を行なっており、疫病流行に関しては伝染病研究所や衛生試験所やその他いろいろの施設があり、風水《ふうすい》旱害《かんがい》に関しても気象台や関係諸機関が存在しているようである。これらの政府の諸機関は、少なくもその究極の目的においては、昔の祭官や巫術者のそれと共通なものをもっていることは事実である。
 昔の為政者の仕事のうちで今日の見地から見て科学的と考えられるものは上記のごとき宗教的色彩あるもののほかにもいろいろあった。たとえば、天智《てんじ》天皇のみ代だけについて見ても「是《この》歳《とし》水《みず》碓《うす》を造り而《て》冶《かね》※[#「金+截」、134−1]《わかす》」とか「始《はじめ》て漏剋《ろうこく》を用う」とか貯水池を築いて「水城《みずき》」と名づけたとか、「指南車」「水※[#「自/木」、第4水準2−85−57]《みずばかり》」のような器械の献上を受けたり、「燃ゆる土、燃ゆる水」の標本の進達があったりしたようなことが、このみ代の政治とどんな交渉があったか無かったか、それはわからないが、ともかくも、当時の為政者の注意を引いた出来事であったには相違ない。おそらく古代では国君ならびにその輔佐《ほさ》の任に当たる大官たちみずからこれらの科学的な事がらにも深い思慮を費やしたのではないかと想像される。
 しかるに時代の進展とともに事情がよほど変わって来た。政治法律経済といったようなものがいつのまにか科学やその応用としての工業産業と離れて分化するような傾向をとって来た。科学的な知識などは一つも持ち合わせなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にも代議士にもなりうるという時代が到来した。科学的な仕事は技師技手に任せておけばよいというようなことになったのである。そうしてそれらの技術官は一国の政治の本筋に対して主動的に参与することはほとんどなくて、多くの場合には技術にうとく理解のない政治家的ないし政治屋的為政者の命令のもとに単に受動的にはたらく「機関」
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