場合おかあさんよりもお嬢さんのほうが背が高く、そうしていばっているような気がする。おかあさんのほうが下手に出て何か相談しかけるとお嬢さんのほうはふんふんと鼻であしらって高圧的に出る、そういったのがよく目につく。もし代々娘のほうが母親よりも身長が一割高くなると仮定すると七八代で二倍になる勘定である、そうなったらたいへんであるがしかしこれは現代の過渡期に特有な現象であろうかと思われる。
五 百貨店の先祖
百貨店の前身は勧工場《かんこうば》である。新橋《しんばし》や上野《うえの》や芝《しば》の勧工場より以前には竜《たつ》の口《くち》の勧工場というのがあって一度ぐらい両親につれられて行ったような茫《ぼう》とした記憶があるが、夢であったかもしれない。それはとにかく、その勧工場のもう一つ前の前身としては浅草《あさくさ》の仲見世《なかみせ》や奥山《おくやま》のようなものがあり、両国《りょうごく》の橋のたもとがあり、そうして所々の縁日の露店があったのだという気がする。田舎《いなか》では鎮守の祭りや市日の売店があった。西洋でもおそらく同様であったろうと想像される。ドイツやフランスの田舎の町の「市」の光景は実によく自分の子供のころの田舎の市のそれと似かよったものをもっていたようである。
子供の時分にそうした市の露店で買ってもらった品々の中には少なくも今のわれわれの子供らの全く知らないようなものがいろいろあった。
肉桂《にっけい》の根を束ねて赤い紙のバンドで巻いたものがあった。それを買ってもらってしゃぶったものである。チューインガムよりは刺激のある辛くて甘い特別な香味をもったものである。それから肉桂酒と称するが実は酒でもなんでもない肉桂汁《にっけいじゅう》に紅で色をつけたのを小さなひょうたん形のガラスびんに入れたものも当時のわれわれのためには天成の甘露であった。
甘蔗《さとうきび》のひと節を短刀のごとく握り持ってその切っ先からかじりついてかみしめると少し青臭い甘い汁《しる》が舌にあふれた。竹羊羹《たけようかん》というのは青竹のひと節に黒砂糖入り水羊羹をつめて凝固させたものである。底に当たる節の隔壁に錐《きり》で小さな穴を明けておいて開いた口を吸うと羊羹の棒がなめらかに抜け出して来る、それを短く歯でかみ切って食う、残りの円筒形の羊羹はちょっと吹くとまた竹筒の底に落ち着
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