対する理解と興味とを増進するには、少なくも中等教育において科学的認識論方法論の初歩を授くるも無用にはあらざるべし。)
二
さて従来の科学の立場より考えて、すべての主要原因が与えられたりと仮定すれば結果は常に単義的《ユニーク》に確定すべきか。これはやや注意深き考慮を要する問題なり。
いわゆる精密科学においても吾人は偶然と名づくるものを許容す。これ一般に部分的の無知を意味す。すなわち条件をことごとく知らざる事を意味す。いかなる測定をなす際にも直接間接に定め得る数量の最後の桁には偶然が随伴す。多くの世人は精密科学の語に誤られてこの点を忘却するを常とす。
一層偶然の著しき場合は、例えば鉛筆を尖端にて直立せしめ、これがいずれの方向に倒るるかという場合、あるいは賽《さい》を投げて何点が現わるるかというごとき場合なり。これらの場合においても、もしすべての条件がどこまでも精《くわ》しく与えられおれば結果は必ず単義的に定まるべしというがいわゆる科学的定数論者の立場なり。これはおそらく大多数の科学者の首肯する所なるべし。しかし実際にはこれらのすべての条件が知り難き故に結果の単義
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