明らかなるべきも、とにかくここに予言者と被予言者との期待に一種の齟齬《そご》あるを認め得べし。
 次には近似の意義に関する意見の齟齬が問題となる。学者が第一次近似をもって甘んずる時、世人は却って第二次近似あるいは数学的の精確を期待する場合もあり。これは後に詳説する天気予報の場合において特に著し。かくのごとき見解と期待との相違より生ずる物議は世人一般の科学的知識の向上とともに減ずるは勿論なれども、一方学者の側においても、科学者の自然に対する見方が必ずしも自明的、先験的ならざる事を十分に自覚して、しかる後世人に対する必要もあるべし。(この点は、単に予報のみの問題に限らず一般科学教育を施す人の注意すべき点なるべしと信ず。中学校にて始めて物理学を学ぶ際に「何故《なにゆえ》にかくのごとく考えざるべからざるか」との疑問が暗々裡に学生の脳裡に起りて何人《なんびと》もこれが解決を与えざるが故に、力と云い、質量と云い、仕事と云うがごとき言葉は、あたかも別世界の言葉のごとく聞え、しかもこれらの考えが先験的必然のものなるにかかわらず自分はこれを理解し得ずとの悲観を懐《いだ》かしむる傾向あり。世人一般の科学に対する理解と興味とを増進するには、少なくも中等教育において科学的認識論方法論の初歩を授くるも無用にはあらざるべし。)

         二

 さて従来の科学の立場より考えて、すべての主要原因が与えられたりと仮定すれば結果は常に単義的《ユニーク》に確定すべきか。これはやや注意深き考慮を要する問題なり。
 いわゆる精密科学においても吾人は偶然と名づくるものを許容す。これ一般に部分的の無知を意味す。すなわち条件をことごとく知らざる事を意味す。いかなる測定をなす際にも直接間接に定め得る数量の最後の桁には偶然が随伴す。多くの世人は精密科学の語に誤られてこの点を忘却するを常とす。
 一層偶然の著しき場合は、例えば鉛筆を尖端にて直立せしめ、これがいずれの方向に倒るるかという場合、あるいは賽《さい》を投げて何点が現わるるかというごとき場合なり。これらの場合においても、もしすべての条件がどこまでも精《くわ》しく与えられおれば結果は必ず単義的に定まるべしというがいわゆる科学的定数論者の立場なり。これはおそらく大多数の科学者の首肯する所なるべし。しかし実際にはこれらのすべての条件が知り難き故に結果の単義性は問題となる。
 抽象的、数学的に考うれば複義性なる函数は無数に存在す。例えばファン・デル・ワール等の理論に従えば、ガス体の圧を与うればその体積には三種の可能価ある事となる。この理論の当否は問わざるも、抽象的にこの事は可能なるべし。今かくのごとき場合にも天然現象は必ず単義的に起るとすれば、それは如何なる理由によるべきか。ここに「安定度」とか「公算」とかいう言葉が科学者の脳裡に浮ぶべし。ここに吾人は科学と形而上学との間の際《きわ》どき境界線に逢着すべし。熱力学にエントロピーの観念の導入され、またエントロピーと公算との結合を見るに至りし消息もまたここに至って自ずから首肯さるべし。
 安定や公算の意味に関する議論はしばらく措《お》き、種々の可能法ある場合におのおのの公算を比較する時、吾人の経験はその中の一つが特に大なるべしと期待せしむる傾向を有す。実際多くの場合にこの期待は吾人を欺かず。しかれども予報という事に聯関して重大なる問題はそれが「常に然《しか》るか」という事なり。
 単義性という言葉にも種々の意味あり。数学的絶対的の単義性といえば、一はどこまでも一にて二は必ず二なるべし。しかし自然現象に偶然を許容すれば吾人の当面の問題は公算的単義性なり。すなわち公算曲線の山が唯一なりやという事が刻下の問題なり。さてすべての場合にこれは唯一なりや。然らざる場合は一般には多数あるべし。例えば馬の鞍《くら》の形をなせる曲面の背筋の中点より球を転下すれば、球の経路には二条の最大公算を有するものあるべし。またある時間内に降れる雨滴の大きさを験する時は、その大きさの公算曲線には数箇の山を見出すべし。これらの場合を総括するに、いずれもかつてポアンカレーの述べしごとく「原因の微分的変化が結果の有限変化を生ずる場合」に当るを見る。自然現象予報の可能程度を論ずる際に忘るべからざる標準の一つはここに係る。後に更に実地問題につきて述ぶる事とせん。
 次に原因を定むる独立変数と称するものの性質が問題となる。変数が長さ、時間、あるいはこれらの合成によりて得らるるものならば比較的簡単なれでも、例えば物体の温度、荷電等のごとき性質のものが与えられたりとせよ。もし物体の内部構造等に立ち入らざるマクロスコピックの見方よりすれば、これらの量は直ちに物体の状態を単義的に指定すれども、これに反し分子説、電子説の立場よ
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング