ると片方の小鼻が途方もなくたれ下がっているのを手近で見る時には少しも気づかなかったりする。
 不思議な事にはこのように毎日見つめている絵の中の顔がだんだんに頭の中にしみ込んで来てそれがとにかく一人の生きた人間になって来る。それは自分のようでもあるしまた他人のようでもある。時としては絵の顔のほうがほんとうの自分で鏡の中のがうそのような気がする。特に鏡と画面とから離れて空で考える時には、鏡の顔はいつでも影が薄くて絵の顔のほうが強い強い実在となって頭の中に浮かんで来るのである。これではだめだと思った。絵を見つめる時間をなるべく減じて鏡を見る時を長くしなければいけないと思った。
 絵の中にいる人間とかいている自分との間には知らず知らずの間に一種の同情のようなものが生じて来るような気がしだした。画像が口をゆがめて来ると、なんだか自分も口をゆがめなくてはいられなくなるようであった。自分が目を細くしていると画像もいつのまにかそうするように思われた。絵の顔が気持ちのいい日はなんだか愉快であるが、そうでない日は自分もきげんがよくなかった。
 調子のごくごくいい日にはいいかげんに交ぜる絵の具の色や調子がお
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