。ボルツマンがこのような混乱系の内部の排置の公算《プロバビリティ》をエントロピーと結びつけたのは非常な卓見で物理学史上の大偉業であった。プランクはさらにこれを無限な光束の集団に拡張して有名な輻射《ふくしゃ》の方則を得たのは第二の進歩であった。すなわち系の複雑さが完全に複雑になれば統計という事が成り立ち、公算というものが数量的に確定したものになる。そして系の変化はその状態の公算の大なるほうへ大なるほうへと進むという事が、すなわちエントロピーの増大という事と同義になるのである。
「時」の不可逆という事にもまた分子的混乱系の存在が随伴している。前にあげたような、仙人と振り子とだけの簡単な世界では、可逆な「時」が可能であるが、吾人の宇宙はある意味で分子的混乱系である。ある学者の考えているように森羅万象をことごとく有限な方程式に盛って、あらゆる抽象前提なしに現象を確実に予言することは不可能であって、そのゆえにこそ公算論の成立する余地が存している。そのために吾人の「時」には不可逆の観念が伴なって来る。そのために未来と過去の差別が生じるのではあるまいか。未来に関して吾人の言いうる事は系の公算の増すと
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