の横の台の上に、ガラスの水槽《すいそう》が一つ置いてあって、その中にただ一匹の美しい洋紅色をした熱帯魚が泳いでいた。ベタ・カンボジャという魚らしい。それがただ一匹で泳いでいるのが、このいったいににぎやかな周囲の光景に対比していかにもさびしそうに見えた。自分がそれを指さして「さびしそうだねえ」と言ったら、友人の哲学者は「どうも少し病的のようだ」と答えた。魚が病的だというのか、そういうことをいうのが病的だか、それとも、こういう魚を飼うことがそうなのかわからなかった。魚はそのうちに器底に沈んで、あっちへ壁のほうを向いてしっぽをこっちへ向けたまま、じっとして動かなくなってしまった。つまらないから寝てしまったのかもしれない。

     六 音の世界

 ある日、街頭のマイクロフォンから流れ出すジャズの音を背後にして歩きながら、芭蕉翁《ばしょうおう》を研究しているK君が「じっとしていて聞く音楽と、動きながら聞く音楽とがある。じっとしていて聞くような音楽はもうなくなってしまいはしないか」という意味のことを言った。
 またある日、地下鉄からおりて歩きだすと同時に車も動きだして、ポーッと圧搾空気の汽笛
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