愉快な振動が肉体に伝わることを防止するのであろう。
畳がすり切れて困るから、床を鋼鉄張りにするというのも同じような話である。
こんな不平をいだいて、二三日歩き回っているうちに、不思議なことには、この靴底の三角の鉄片の存在を主張する叫び声がだんだんに、自然に弱くなって来た。ゴリゴリ、ゲリゲリと鋸《のこぎり》の目立てをするような音はほとんど聞かれなくなった。そうして、この鉄片の軽く地面をたたくコツコツという音が、次第にそれほど不愉快でなく、それどころか、おしまいにはかえって一種の適度な爽快《そうかい》な刺激として、からだを引きしめ、歩調を整えさせる拍節の音のようにも感ぜられるようになって来た。
思うに、従来はいていた靴のかかとがだいぶ減って低くなっていたので、それに長い間慣らされた足の運びが、今度の新しい靴の少しばかり高いかかとに適応するまでに少しばかり骨が折れたものと見える。
そのうちに、古いほうの靴のゴム底ができて来て、試みにそれをはいて歩いてみると、なるほど踏みごこちは柔らかいが、今度はあまり柔らか過ぎて、べとべとした餅《もち》の上でも歩くような気がする。はなはだたよりない気持ちがするのであった。
これに似た他の場合を思い出す。
半年ほど下駄《げた》というものをはかないでいる。そうして久しぶりに下駄をはいて四五町も歩くと、足一面が妙にひきつれたようになって歩けなくなる。おしまいには腰のへんまでひきつってしまう。それが、足袋《たび》をはいてだと、それほどでもないが、素足のままだと特別にひどいようである。
はき物でさえ、そうしてはき物の大きさや素材のこんな些細《ささい》な変化でさえ、新しいものに適応するということの難儀さかげんがこれほどまでに感じられるのである。過去の世界で育ち過去の思想で固まった年寄りの自分らが、新しい世界を歩き、新しい思想に慣れるまでの難儀さ迷惑さはどのくらい大きいものか、若い人には想像するさえむつかしいであろうと思われる。
二 草市
七月十三日の夕方哲学者のA君と二人で、京橋《きょうばし》ぎわのあるビルディングの屋上で、品川沖《しながわおき》から運ばれて来るさわやかな涼風の流れに※[#「口+僉」、第4水準2−4−39]※[#「口+禺」、第3水準1−15−9]《けんぐ》しながら眼下に見通される銀座通《ぎんざどお》りのは
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