人でもまだ存在するということが当時の自分にはうれしかったのである。
 I氏の下側から見た鼻の二等辺三角形の頂角を目測しながら自分がつい数日前に遭遇したある小事件を思い出すのであった。
 ある途上で、一人の若い背の高い西洋人の前に、四五人の比較的に背の低いしかし若くて立派な日本人が立ち並んで立ち話をしていた。何を話しているかはわからなかったが、ただ一瞥《いちべつ》でその時に感ぜられたことは、その日本の紳士たちのその西洋人に対する態度には、あたかも昔の家来が主人に対するごとき、またある職業の女性が男性に対するごとき、何かしらそういったような、あるものがあるように感ぜられた。その西洋人がどれほどえらい人であったかは知らないが、単にえらさに対する尊敬とは少しちがったある物があるように感ぜられた。そうして、その時の自分にはそれがひどく腹立たしくも情け無くも思われまたはなはだしく憂鬱《ゆううつ》に感ぜられた。
 ことによると、実は自分自身の中にも、そういうふうに外国人に追従《ついしょう》を売るようなさもしい情け無い弱点があるのを、平素は自分で無理にごまかし押しかくしている。それを今眼前に暴露されるような気がして、思わずむっとして、そうして憂鬱になったのかもしれない。
 それはとにかく、自分はその同じ日の晩、ある映画の試写会に出席した。映写の始まる前に観客席を見回していたら、中央に某外国人の一団が繩張《なわば》りした特別席に陣取っていた。やがて、そこへ著名な日本の作曲家某氏夫妻がやって来てこの一団に仲間入りをした。まさに映写されんとする映画を作った監督はその某国の人であり、録音された音楽は全部この日本人の作曲である。見ているとこの外国人の一団はこの日本の作曲者を取り巻いてきわめて慇懃《いんぎん》な充分な敬意を表した態度で話しかけている。そうして、これに対するこの日本人は、たとえばまず弟子《でし》に対する教師ぐらいな、あるいは事によるともう少しいばった態度で、笑顔《えがお》一つ見せずにむしろ無愛想にあしらっている、というふうにともかくもその時の自分には見えたのである。それがなんとなくその時の自分には愉快であった。胸につかえていたものが一時に下がるような気がした。昼間見た光景がまさしく主客|顛倒《てんとう》したのである。しかしこの昼と夜との二つの光景を見る順序が逆であったら、心持ちは
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