様であろう。
 花時が終わって「もも」が実ってやがてその※[#「くさかんむり/朔」、第3水準1−91−15]《さく》が開裂した純白な綿の団塊を吐く、うすら寒い秋の暮れに祖母や母といっしょに手んでに味噌《みそ》こしをさげて棉畑《わたばたけ》へ行って、その収穫の楽しさを楽しんだ。少しもう薄暗くなった夕方でも、このまっ白な綿の団塊だけがくっきり畑の上に浮き上がって見えていたように思う。そういうとき、郷里で「あお北《ぎた》」と呼ぶ秋風がすぐそばの竹やぶをおののかせて棉畑に吹きおろしていたような気がする。
 採集した綿の中に包まれている種子を取り除く時に、「みくり」と称する器械にかける。これは言わば簡単なローラーであって、二つの反対に回る樫材《かしざい》の円筒の間隙《かんげき》に棉実を食い込ませると、綿の繊維の部分が食い込まれ食い取られて向こう側へ落ち、堅くてローラーの空隙《くうげき》を通過し得ない種子だけが裸にされて手前に落ちるのである。おもしろいのは、このローラーが全部木製で、その要部となる二つの円筒が直径一センチメートル半ぐらいであったかと思うが、それが片方の端で互いにかみ合って反対に回るようにそこに螺旋溝《らせんこう》が深く掘り込まれていた。昔の木工がよくもこうした螺旋《らせん》を切ったものだとちょっと不思議なようにも思われる。もっともこのかみ合わせがかなりぎしぎしときしるので、その減摩油としては行燈《あんどん》のともし油を綿切れに浸《し》ませて時々急所急所に塗りつけていた。それで取っ手を回すと同じリズムでキュル/\/\と一種特別な轢音《れきおん》を立てるのであった。「みくり」を通過して平たくひしゃげた綿の断片には種子の皮の色素が薄紫の線条となってほのかに付着していたと思う。
 こうして種子を除いた綿を集めて綿打ちを業とするものの家に送り、そこで糸車にかけるように仕上げしてもらう。この綿打ち作業は一度も見たことはないが、話に聞いたところでは、鯨の筋を張った弓の弦で綿の小団塊を根気よくたたいてたたきほごしてその繊維を一度空中に飛散させ、それを沈積させて薄膜状としたのを、巻き紙を巻くように巻いて円筒状とするのだそうである。そうしてできた綿の円筒が糸車にかけて紡がれるわけである。  
 田舎道《いなかみち》を歩いていると道わきの農家の納屋の二階のような所から、この綿弓の弦の音が聞こえてくることがあった。それがやはり四拍子の節奏で「パン/\/\ヤ」というふうに響くのであった。おそらく今ではもうどこへ行ってもめったに聞かれない田園の音楽の一つであろうと思われる。
 明治二十七八年|日清戦争《にっしんせんそう》の最中に、予備役で召集されて名古屋《なごや》の留守師団に勤めていた父をたずねて遊びに行ったとき、始めて紡績会社の工場というものの見学をして非常に驚いたものである。祖母が糸車で一生涯《いっしょうがい》かかって紡ぎ得たであろうと思う糸の量が数え切れない機械の紡錘から短時間に一度に流れ出していた。そこにはあのゆるやかな抑揚ある四拍子の「子守《こも》り歌」の代わりに、機械的に調律された恒同な雑音と唸《うな》り音の交響楽が奏せられていた。
 祖母の紡いだ糸を紡錘竹《つむだけ》からもう一ぺん四角な糸繰り枠《わく》に巻き取って「かせ」に作り、それを紺屋に渡して染めさせたのを手機《てばた》に移して織るのであった。裏の炊事場《かまや》の土間の片すみにこしらえた板の間に手機が一台置いてあった。母がそれに腰をかけて「ちゃんちゃんちゃきちゃん」というこれもまた四拍子の拍音を立てながら織っている姿がぼんやりした夢のような記憶に残ってはいるが、自分が少し大きくなってからは、もうこの機はあまり使われなかったらしい。しかし自分の姉の家ではその老母がずっとあとまで、自分らの中学時代までも、この機織りを唯一の楽しみのようにして続けていた。木の皮を煮てかせ糸を染めることまで自分でやるのを道楽にしていたようである。純粋な昔ふうのいわゆる草木染めで、化学染料などの存在はこの老人の夢にも知らぬ存在であった。この老人の織ったふとん地が今でもまだ姉の家に残っているが、その色がちっともあせていないと言って甥《おい》のZが感嘆して話していた。
 いつであったか、銀座資生堂《ぎんざしせいどう》楼上ではじめて山崎斌《やまざきたけし》氏の草木染めの織物を見たときになぜか涙の出そうなほどなつかしい気がした。そのなつかしさの中にはおそらく自分の子供の時分のこうした体験の追憶が無意識に活動していたものと思われる。またことしの初夏には松坂屋《まつざかや》の展覧会で昔の手織り縞《じま》のコレクションを見て同じようななつかしさを感じた。もしできれば次に出版するはずの随筆集の表紙にこの木綿《もめん》を使い
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