綿の繊維の束に撚《よ》りをかける。撚りをかけながら左の手を引き退けて行くと、見る見る指頭につまんだ綿の棒の先から細い糸が発生し延びて行く、左の手を伸ばされるだけ伸ばしたところでその手をあげて今できあがっただけの糸を紡錘に通した竹管に巻き取る、そうしておいて再び左手を下げて糸を紡錘の針の先端にからませて撚りをかけながら新たな糸を引き出すのである。大概車の取っ手を三回まわす間に左の手が延び切って数十センチメートルの糸が紡がれ、それを巻き取ってから、また同じ事を繰り返す。そういう操作のために糸車の音に特有なリズムが生ずる。それを昔の人は「ビーン、ビーン、ビーン、ヤ」という言葉で形容した。取っ手の一回転が「ビーン」で、それが三回繰り返された後に「ヤ」のところで糸が巻き取られるのである。「ビーン」の部で鉄針とそれにつながる糸とが急速な振動をしているために一種の楽音が発生するが、巻き取るときはそうした振動が中止するので音のパウゼが来るわけである。要するにこの四拍子の、およそ考え得らるべき最も簡単なメロディーがこの糸車という「楽器」によって奏せられるのである。そのメロディーは実に昔の日本の婦人の理想とされた限りなき忍従の徳を賛美する歌を歌っていたようなものかもしれない。
右手と左手との運動を巧みに対応させコーオルディネートさせる呼吸がなかなかむつかしいもので、それができないと紡がれた糸は太さがそろわなくて、不規則に節くれ立った妙な滑稽《こっけい》なものにできそこねてしまうのである。自分など一二度試みてあきれてしまってそれきり断念したことであった。
ひと年かふた年ぐらい裏の畑に棉《わた》を作ったことがあった。当時子供の自分の目に映じた棉の花は実に美しいものであった。花冠の美しさだけでなくて花萼《かがく》から葉から茎までが言葉では言えないような美しい色彩の配合を見せていたように思う。観賞植物として現代の都人にでも愛玩《あいがん》されてよさそうな気のするものであるが、子供のとき宅《うち》の畑で見たきりでその後どこでもこの花にめぐり合ったという記憶がない。考えてみると今どき棉を植えてみたところで到底商売にも何にもならないせいかもしれない。もっとも、統計で見ると内国産|棉実《めんじつ》千トン弱とあるから、まだどこかで作っているところもあると見えるが、輸入数十万トンに対すればまず無いも同
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