・バランシングの問題に興味を引かれた。従来の盲探しの手数のかかる方法に代わるに簡単で確実な合理的方法を考案してこれを実地に応用し良好の成績を収めた。現在|我邦《わがくに》でおよそ汽船を造っている限りの工場で君の方法の行われていないところはないそうである。これと似た問題としては電気扇の振動や雑音をなくする方法の発明もある。これらのバランシングに関する各種多様の研究は皆三菱研究所で行ったものである。また器械の廻転軸の捻《ねじ》れを直接光学的に読み取るトーションメーターの考案も最も巧妙なものとして帝国学士院から授賞されたものである。また鉄筋コンクリートで船を造る場合に主応力の方向に鉄筋を入れるという最も合理的な施工法に関する特許を得ている。地震学に興味をもつようになったのは船舶の振動に関する研究から自然に各種構造物の振動に関する問題の方に心を引かれるようになったためであるらしい。それで例えば煙突の振動の問題でも、従来の理論的取扱い方に不満を感じて色々の点から改良を試みた。地震計の震動体にメルデ実験に相当する作用のあるのが見逃されているのに気付いて、これを無くする考案をしたりした。また多数の共鳴体を並列して地震動を分析する装置を考案し実際の地震の観測に使用してかなり面白い結果を得た。また構造物の模型実験が従来はいわゆる力学的相似にかまわず行われているのに飽き足らず、この点について合理的な模型を作る方法を考案し、その一例としてパラフィンの混合物で二階建日本家屋の模型を作りその振動を験測したりした。これから進んで実際の家を振動台の上で揺り動かす大規模の実験を企てその準備にかかろうという際に病のために倒れたのである。
末広君の研究の行き方や筋道を見ると色々な優れた特徴がある。一口に云うと昔の一般の工学者に較べて、すべてが物理学者風であったように見える。卒業後物理学科の聴講に出たり、ベルリン留学中かの地の若い学生の中に交じってブラジウス教授受持の物理実験の初歩のコースを取ったりした事実は、この特徴の由来を想像させるものである。工学部の課目中に物理実験を加えるようになったのも同君並びに同志の諸氏の考えが導因となったもののように記憶するが、この点は筆者の思い違いかもしれない。鋭い直観の力で一遍に当面の問題の心核を掴《つか》んでしまう。そうして簡易な解析と手軽な実験によって問題の大きい輪郭を明快に決定するという行き方であったように見える。解析の方法でも、数学者流に先ず最も一般の場合を取扱った後に a=0 b=0 c=0……と置く流儀ではなかったようである。実験の方でも高価な既成の器械を買ってやるよりも、自分で考案した一見じじむさいように見える器械装置を使って、そうして必要なる程度での最良の効果を収めることに興味をもっていたように見える。実験上のテクニックでも人の真似をするよりは何かしら一工夫するのが好きであった。例えば短時間の強い光源としてのアンダーソンの針金の電気爆発を使う代りに水銀のフィラメントの爆発を使ったり、また電扇の研究と聯関して気流の模様を写真するために懐炉灰《かいろばい》の火の子を飛ばせるといったようなことも試みた。無闇に読みもしない書物を並べ立て、用もない孫引きの文献を並べるような事も好まなかった。
末広君の独創を尊重する精神は、同君の日本及び日本人を愛する憂国の精神と結び付いて、それが同君の我国の学界に対する批判の基準となっていたように見える。「ケトーの真似ばかりするな」これが同君のモットーであった。この言葉の中には欧米学界の優越に対する正当なる認識と尊敬を含むと同時に、我国における独創的の研究の鼓吹、小成に安んぜんとする恐れのある少壮学者への警告を含んでいたのである。「どうも日本人はだめだ」と口癖のように言っていた、その言葉の裏にもやはり酌んでも尽きない憂国の至誠が溢れていたのである。米国講演の旅から帰った時新聞記者に話したという我学界への苦言にも、日本の学者が慢心するのを心配している心持が十分に酌み取られる。
同じような内省的な傾向から、自分でも人でもいわゆる「大家」になることを恐れていた。かつて筆者が不精で顋鬚《あごひげ》を剃るのを怠っているのを見付けた時「あごひげなんか延ばして大家になっちゃ駄目だぞ」と云った事を記憶する。この辛辣にして愉快なる三十棒の響きは今にして筆者の耳に新たなるものがある。ちなみに君は生涯髭を蓄えず頭も五分刈であった。着物などには一切構わず、時にはひどい靴をはいていた。住宅を建てた時でも色々な耐震的の工夫をして金目をかけたが、見かけの華美を求める心はなかったようである。
末広君の大学における講義にも特徴があったそうである。分量を少なく、出来るだけ簡易平明にして、しかも主要な急所を洩れなく、また
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