んど蒸発してしまって、他のよけいなものやまるで反対のものなどが入り交じってしまっている。写真をとっても証拠にならぬ場合のある事はアムンゼンの飛行機の行くえに関する間違いの例でも知られる。
新聞記事の間違いだらけな事はもちろん周知のことであるが、きのうの出来事さえ真実が伝わらぬとすればいわゆる史実と称するものもどこまで信用できるかわからない。ことによると九十パーセントが間違いかもしれない。
いっそのこと、全部間違いばかりと事がらがきまればかえって楽であるが、困ったことには時にほんとうなことが交じるので全部捨てるわけにゆかないから始末が悪いのである。
われわれの目も時々われわれをだますが、いつもだますと限らないで、時々は気まぐれにほんとうのものを見せてくれるので困る。そうでなければ目などはないほうがたしかに利口になれるであろう。
ハイディンガー・ブラッシと称するものがある。偏光を生じるニコルのプリズムを通して白壁か白雲の面を見ると、妙なぼんやりした一抹《いちまつ》の斑点《はんてん》が見える。すすけた黄褐色《おうかっしょく》の千切《ちき》り形《がた》あるいは分銅形をしたものの、両端にぼんやり青みがかった雲のようなものが見える。ニコルを回転すると、それにつれて、この斑点もぐるぐる回る。自分も学生時代にこれに関する記事を読んでさっそく実験してみたが、なかなか見えない。そのうちに、ニコルをやけに急激にねじ回していると、なんだか、時々ぱっぱっと動くものがあるような気がするので、それに注意を集注して見ると、なるほど、ちゃんと書物に記載してあると同じようなものが見える。いや、見えていたのである。一度気がついてみると、どうしてこんな明白なものが、今まで見えないでいたか、ほとほと不可解に思われるほどにそれほどに明瞭《めいりょう》に見えるのである。そうなると、今度は、別の目的でニコルをのぞく時にでも、これがあまりによく見え過ぎて目的とする他の光象を観察する邪魔になるのである。故|野口英世《のぐちひでよ》博士が狂人の脳髄の中からスピロヘータを検出したときにも、二百個のプレパラートを順々に見て行って百九十何番目かで始めてその存在を認め、それから見直してみると、前に素通りした幾つもの標本にもちゃんと同じもののあるのが見つかった。
ハイディンガーがこの現象を発見してまもなく、ヘルムホルツ
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