いうかなりな可能性を前に控えているような気がしないわけには行かない。来年にもあるいはあすにも、宝永四年または安政元年のような大規模な広区域地震が突発すれば、箱根《はこね》のつり橋の墜落とは少しばかり桁数《けたすう》のちがった損害を国民国家全体が背負わされなければならないわけである。
つり橋の場合と地震の場合とはもちろん話がちがう。つり橋はおおぜいでのっからなければ落ちないであろうし、また断えず補強工事を怠らなければ安全であろうが、地震のほうは人間の注意不注意には無関係に、起こるものなら起こるであろう。
しかし、「地震の現象」と「地震による災害」とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても「災害」のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性があるのである。そういう見地から見ると大地震が来たらつぶれるにきまっているような学校や工場の屋根の下におおぜいの人の子を集団させている当事者は言わば前述の箱根つり橋墜落事件の責任者と親類どうしになって来るのである。ちょっと考えるとある地方で大地震が数年以内に起こるであろうという確率と、あるつり橋にたとえば五十人乗ったためにそれがその場で落ちるという確率とは桁違いのように思われるかもしれないが、必ずしもそう簡単には言われないのである。
最近の例としては台湾《たいわん》の地震がある。台湾は昔から相当烈震の多い土地で二十世紀になってからでもすでに十回ほどは死傷者を出す程度のが起こっている。平均で言えば三年半に一回の割である。それが五年も休止状態にあったのであるから、そろそろまた一つぐらいはかなりなのが台湾じゅうのどこかに襲って来てもたいした不思議はないのであって、そのくらいの予言ならば何も学者を待たずともできたわけである。しかし今度襲われる地方がどの地方でそれが何月何日ごろに当たるであろうということを的確に予知することは今の地震学では到底不可能であるので、そのおかげで台湾島民は烈震が来れば必ずつぶれて、つぶれれば圧死する確率のきわめて大きいような泥土《でいど》の家に安住していたわけである。それでこの際そういう家屋の存在を認容していた総督府当事者の責任を問うて、とがめ立てることもできないことはないかもしれないが、当事者の側から言わせるとまたいろいろ無理のない事情があって、この危険な土角造《トウカツづ
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