舞われ、その損害額三百八十三万三千ドル、死者四十名であったそうである。北米大陸では大山脈が南北に走っているためにこうした特異な現象に富んでいるそうで、この点欧州よりは少なくも一つだけ多くの災害の種に恵まれているわけである。北米の南方ではわがタイフーンの代わりにその親類のハリケーンを享有しているからますます心強いわけである。
西北隣のロシアシベリアではあいにく地震も噴火も台風もないようであるが、そのかわりに海をとざす氷と、人馬を窒息させるふぶきと、大地の底まで氷らせる寒さがあり、また年を越えて燃える野火がある。決して負けてはいないようである。
中華民国には地方によってはまれに大地震もあり大洪水《だいこうずい》もあるようであるが、しかしあの厖大《ぼうだい》なシナの主要な国土の大部分は、気象的にも地球物理的にも比較的にきわめて平穏な条件のもとにおかれているようである。その埋め合わせというわけでもないかもしれないが、昔から相当に戦乱が頻繁《ひんぱん》で主権の興亡盛衰のテンポがあわただしくその上にあくどい暴政の跳梁《ちょうりょう》のために、庶民の安堵《あんど》する暇《いとま》が少ないように見える。
災難にかけては誠に万里同風である。浜の真砂《まさご》が磨滅《まめつ》して泥《どろ》になり、野の雑草の種族が絶えるまでは、災難の種も尽きないというのが自然界人間界の事実であるらしい。
雑草といえば、野山に自生する草で何かの薬にならぬものはまれである。いつか朝日グラフにいろいろな草の写真とその草の薬効とが満載されているのを見て実に不思議な気がした。大概の草は何かの薬であり、薬でない草を捜すほうが骨が折れそうに見えるのである。しかしよく考えてみるとこれは何も神様が人間の役に立つためにこんないろいろの薬草をこしらえてくれたのではなくて、これらの天然の植物にはぐくまれ、ちょうどそういうものの成分になっているアルカロイドなどが薬になるようなふうに適応して来た動物からだんだんに進化して来たのが人間だと思えばたいした不思議ではなくなるわけである。
同じようなわけで、大概の災難でも何かの薬にならないというのはまれなのかもしれないが、ただ、薬も分量を誤れば毒になるように、災難も度が過ぎると個人を殺し国を滅ぼすことがあるかもしれないから、あまり無制限に災難歓迎を標榜《ひょうぼう》するのも考えも
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