ンと称えて顕微鏡でも見えぬしかもそれぞれ電気を帯びた微分子である。滴があまり細かいから空気の摩擦に支えられて容易に地に落ちず空中に浮かんでいる。野山の霧は消えやすいに反して市街の霧が消散し難いのは水滴の核になる塵の差違から起るという事である。霧で有名なはロンドンで、石炭や煤の粉交じりだから特別な不快な色をしている。そしてこの霧は市の上に限られて少し市外へ出れば無くなる。つまり市中の工場や住家から立昇る煙が霧の核を多量に供給しているためであろう。この霧を散らせるために大砲などを発火して試験をしている。市街の煤煙と同様に火山の煙も霧の発生を助けるものである。もう一つ霧で有名なのはニューファウンドランド島の近海で、ここは暖流と寒流の出会うために春から夏へかけては霧が深くて航海が危険である。三十七、八年の戦役に我が艦隊を悩ました濛気《もうき》もこの従兄弟《いとこ》のようなものであろう。また船乗の恐れる海坊主というのは霧の濃いかたまりだという説がある。とにかく霧は航海には厄介なもので、この障害を防ぐために霧笛、霧砲などというものが色々工夫された。[#地から1字上げ](明治四十一年九月三十日『東京朝日新聞』)
[#改ページ]
七
霧の海
野原に下りた霧の渺々《びようびよう》として海のごとく見ゆるをいう。ドイツにはこれに相当して Nebelmeer という字がある。仏国にも une mer de brouillard という語がある。
霧の笆《まがき》
霧は「切り」で、立ち切る意なりとの説がある。霧が物を障《さえぎ》る事は東西を通じて詩にも歌にもいろいろに云い現されているが、ある学者は霧が視界を障ぎる距離を詳しく調べてみた。その人の説によれば視力の及ぶ距離は霧の滴の直径に比例し、空気の一定容積中に含まるる水の量に反比例する。早くいえば霧が細かくて濃いほど遠くが見えぬのである。先ず普通山中などで出会う霧では百歩の外は見えぬものと思えばよい。英語に「霧の堤」という語があるが、これは障るという意味よりはむしろ海上などで霧が水平線に堤のように下りて陸と見違えるようなのをいうそうである。
霧の香
古書には「霧に匂ひのあるものなり云々」とあるが水滴ばかりでは香のあるはずはない。按ずるに、霧の凝結する核となる塵埃中にはい
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