ている。人間の五体でもけがをするとそこが痛む。動くとひどく痛むからしかたなくじっとしている。じっとしていれば直るものはひとりで直るようにできているものらしい。もし、これがちっとも痛くなかったら平気で動き回る。動き回れば傷も骨折もなかなか直るときはないであろう。
腸胃が悪いと腹が痛かったり胸が悪かったりするから食物を食う気になれない。もしもなんの苦痛もなかったら平気でなんでも食う。食えばいよいよ病気が重くなって行くに相違ない。風邪《かぜ》をひいて熱が高くなると苦しくて仕事ができなくなる。寝たくなる。寝れば直るが無理すると肺炎になる。
これらの平凡すぎるほど平凡な事実の中に、実に驚嘆すべき造化の妙機のあることに今まで少しも心づかないでいたのが、今度の子供の災難に会って始めて少しばかりわかりかけて来たような気がする。
犬や猫《ねこ》はこれをちゃんと心得ているようである。そうしてたいていのけがや病は自然の力で直してしまう。人間はわずかの知恵に思い上がって天然をばかにして時々無理なことをする。そうして失わなくても済むのに二つとない生命を失う場合が多いように思われる。
医術というものは結局こういう造化の天然の医術の幇助者《ほうじょしゃ》の役目を勤めるものであるらしい。名医はすなわちもっとも優秀な造化の助手であるかと思われる。
肉体における医者に相当して、精神の医者もあるはずである。そういう医者に名医ははなはだまれなように見受けられる。精神の胃が悪くて盛んに吐きけのある患者に無理に豚カツを食わせてみたり、精神の骨がくだけて痛がっているのに無体に体操をさせてみたり、そうかと思うとどこも悪くない人間にギプス包帯をして無理に病院のベッドの上に寝かせるようなことをする場合もありはしないかという心配がある。
それはとにかくわれわれ弱い人間が精神的にひどい打撃を受けたときに、頭がぼんやりしたり、一部の神経が麻痺《まひ》して腰が立たなくなったり、何病とも知れない病人同様の状態になって蒲団《ふとん》を頭からかぶって寝込んでしまったりする。あれもやはり造化の妙機であって、ちょうど「鎖骨|挫折《ざせつ》」のような役目をするためにどこかがどうかなるのかもしれない。
悲しいとき涙腺《るいせん》から液体を放出する。おかしいとき横隔膜が週期的|痙攣《けいれん》をはじめる。これも何か、もっとずっと悪い影響を救うための安全弁の作用をしているに相違ない。それで医術がもっともっと進歩すると、精神のけがでもこれら天然の妙機を人工的に幇助《ほうじょ》することによって楽に治療できるようになるかもしれない。
自分が今ここでこんな空想を起こしているのも、事によると子供のけがでびっくりして少し頭が変になったせいかもしれないし、それならばまた、こんな事をおくめんもなく書く気になるのは、その天然自然の治療法を無意識に実行しているのかもしれないのである。
[#地から3字上げ](昭和八年一月、工業大学蔵前新聞)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年7月6日作成
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