ることも、しかし何かやはり人間に必要なことであるかもしれない。こういう自負心のおかげで科学が進歩し社会も進展するのかもしれない。
池にはめだかとみずすましがすんでいる。水中のめだかの群れは、頭上の水面をみずすましが駆け回っても平気で泳いでいる。この二つの動物の利害の世界は互いに交差しないと見える。しかし、めだかは人影が近づくと驚いてぱっと一度にもぐり込む。これに反してみずすましのほうは、人間を見ただけでは平気である。つかまえようとするとついと逃げる。めだかのほうは数千年来人間におどかされて来たが、みずすましのほうは昔から人間に無視されて来たせいではないかと思われる。
蚊ぐらいの大きさのみずすましの子供が百匹以上も群れていたのが、わずか数日の間にもうみんな一人前のみずすましになった。
めだかもみずすましも群居を好むものらしい。めだかやみずすましの世界にもやはり盆踊りがあるものと見える。
あひるがただ一羽とはあまりにさびしいと思っていたが、宿の人に聞いてみると、はじめは二羽いたそのうちの一羽が別荘の黒犬に食われたのだそうである。そのかわりに今|雛鳥《ひなどり》を二羽、宿の裏手の鶏小屋《とりごや》の片すみの檻《おり》に養っている。それを時おり池へ連れて来ては遊泳の練習をさせている。もう少し大きくなったら放養するのだという。みずすましとちがってあひるの成長はなかなか骨が折れるのである。
うちの子供らがあひるを慣らしているのを見て、今まではいっこうにあひるに対する興味がないか、あるいは追い回す以外の可能性を考えなかった近所の子供たちも、とんぼをつかまえて来たりあき鑵《かん》にいっぱいいなごを取ってはあひるに食わせることを覚えて来た。
ある日大きな芋虫が路上をはっているのを、子供らが見つけて池の中へ投げ込んだら、あひるは始めのうちは見るには見ても、それが食物になるという事に気がつかないのか、いっこう無頓着《むとんちゃく》なように見えたが、しばらくしてから気がついてついばんではみたものの、長さ二寸ほどな大芋虫であるから咽喉《のど》につかえて容易に飲み込めない。それでも結局はどうにかして嚥下《えんか》してしまった。
この数日の間にあひるの生活にはずいぶん大きな変化があったが、しかしその変化が結局あひるのために有利であるかどうかはわからない。われわれ人間はただ自分たちの
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