の頭が現象の中へはいり込んで現象と歩調を保ちつついっしょに卍巴《まんじともえ》と駆けめぐらなければ動いているものはつかまえられない。
実験や観測でなくて純粋な理論的の考察であっても、一つの指導的なイデーが頭に浮かぶのは時としては瞬間的であって、そうして、かろうじて意識の水平線の上に現われるか現われないかという場合がある。それをうっかりしていると取り逃がしてしまって、再びはなかなか返って来ない事があるであろう。これを即座に捕え仕留めるのはやはり一種の早わざである。人間の頭の働き方はやはり天然現象に似た非再起的なトランシェントな経過をとる場合が多い。数学のような論理的な連鎖を追究する場合ですらも、漠然《ばくぜん》とした予想の霧の中から正しい真を抽出するには、やはりとぎすました解剖刀のねらいすました早わざが必要であろう。居眠りしながら歩いていたのでは国道でも田んぼへ落ちることなしに目的地へは行かれまい。
実験科学では同じ実験を繰り返すことができるからまだいいとしても、天然現象を対象とする科学では、一度取り逃がした現象にいつまためぐり会われるかもわからないという場合がはなはだ多い。そういう場合において、学者は現象の起こっている最中に電光石火の早わざで現象の急所急所に鋭利な観察力の腰刀でとどめを刺す必要がある。そうすれば戦いのすんだあとで、ゆるゆる敵を料理して肉でも胆《きも》でも食いたければ食うことができる。
実験的科学でも実は同様である。甲が同じ事を十回繰り返し実験しても気がつかずに見のがす事を乙がただ一ぺんで発見する場合はしばしばある。
こういう早わざをしとげるためには、もとより天賦の性能もあろうが、主として平素の習練を積むことが必要で、これは水練でも剣術でも同じことであろうと思われる。
学生の時分に天文観測の実習をやった。望遠鏡の焦点面に平行に張られた五本の蜘蛛《くも》の糸を横ぎって進行する星の光像を目で追跡すると同時に耳でクロノメーターの刻音を数える。そうして星がちょうど糸を通過する瞬間を頭の中の時のテープに突き止めるのであるが、まだよく慣れないうちは、あれあれと思う間に星のほうはするすると視野を通り抜けてしまってどうする暇もない。しかし慣れるに従って星がだんだんにのろく見えて来る、一秒という時間が次第に長いものに感ぜられて来る。そうして心しずかに星を仕留めることができた。
水泳の飛び込みでもおそらく習練を積むに従って水ぎわまでの時間が次第に長くなって、ゆるゆる腰刀を抜いて落ち着いてねらいすまして敵を刺すことができるようになるのではないかと思われる。
[#地から3字上げ](昭和八年三月、改造)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
初出:「改造」
1933(昭和8)年3月
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月29日作成
2009年9月15日修正
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