思っていた。今の米国人の中にでも黒人は人間と思っていない仲間があることはリンチの事実が証明する。
北氷洋の白熊は結局、カメラも鉄砲も繩《なわ》も鎖もウインチも長靴《ながぐつ》も持っていなかったために殺され生け捕られたに過ぎないように思われる。
二 製陶実演
三越《みつこし》へ行ったら某県物産展覧会というのが開催中であって、そこでなんとか焼きの陶器を作る過程の実演を観覧に供していた。回転台の上へ一塊の陶土を載せる。そろそろ回しながらまずこの団塊の重心がちょうど回転軸の上に来るように塩梅《あんばい》するらしい。それが、多年の熟練の結果であろうが、はじめひょいと載せただけでもう第一近似的にはちゃんと正しい位置におかれている、それで、あとはただこの団塊をしっかり台板に押しつけ固着させるための操作を兼ねて同時にほんの少しの第二近似を行なうだけである。さて、このすえ付け作業がすむと今度は、両手を希薄な泥汁《どろじる》に浸したのちに、その手で回転する団塊の胴を両方から押えながら下から上へとだんだんなで上げると、今まではただの不規則な土塊であったものが、「回転的対称」という一つの統整原理の生命を吹き込まれただけで忽然《こつぜん》として「生きて」来る。そうしてなめらかな泥汁にぬれた土の肌《はだ》も見る見る生き生きとした光沢を帯びて来るのである。次には、この土塊の円筒の頂上へ握りこぶしをぐうっと押し込むと、筒の頭が開いて内にはがらんとした空洞《くうどう》ができ、そうしてそれが次第に内部へ広がると同時に、胴体の側面が静かにふくれ出してどうやら壺《つぼ》らしいものの形が展開されて行くのである。それから壺の口縁の所のやや細かい形のモデリングが始まるのであったが、そうそういつまでも見ている暇がなかったから、そこまでで残念ながら割愛して帰って来たのであった。帰りの電車に揺られながらも、この一団のきたない粘土の死塊が陶工の手にかかるとまるで生き物のように生長し発育して行く不思議な光景を幾度となく頭の中で繰り返し繰り返し思い起こしては感嘆するのであった。
人間その他多くの動物の胚子《はいし》は始めは球形である。そうして、その一方が凹入《おうにゅう》して壺形になるのが発生の第一階段である。粘土のかたまりから壺にできて行くのは外見上いくらかこれと似た過程であるが、しかし生物の胚子の場合に陶工の手の役目をつとめるものが何であるかはいかなる生物学者にもまだよくはわからないようである。それはとにかく、この胚子の壺の形がだんだんにどこまでも複雑な形に分岐し分岐して、それがおしまいにはクレオパトラになったり、うちの三毛ねこになったりするのである。クレオパトラでも三毛ねこでも畢竟《ひっきょう》は天然の陶工の旋盤なしにひねり出した壺《つぼ》である。この壺の中味が問題になるのであろう。
粘土がなくては陶器はできないが粘土があっただけではやはり陶器はできない。これはあたりまえである。しかしこのあたりまえな事が時々忘却されるためにいろいろな問題が起こることがある。
ある哲学者が多年の間にたくさんの文献を渉猟して収集し蓄積した素材の団塊から自身の独創的体系を構成する場合があるであろう。科学者でも同様な場合があるであろう。そういう場合に寄り集まった材料が互いに別々な畑から寄せ集められたものである以上各部分の間にはなんらの必然的な連絡はなく、従ってそれらの堆積《たいせき》はやはり単なる素材の堆積であり団塊であるというだけで、結局はその学者なる陶工の旋盤の上に載せられた粘土の団塊とたいした変わりはないであろう。もっとも文献の破片は一度すっかり細かにすりつぶされなければならないのであるが、すりつぶされても結局素材としてはもとのものの変形である。
この素材の団塊からすぐれた学者が彼の体系をひねり上げる際にはやはり名工が陶器を作ると同様なものがあるような気がする。死んだ無機的団塊が統整的建設的|叡知《えいち》の生命を吹き込まれて見る間に有機的な機構系統として発育して行くのは実におもしろい見物《みもの》である。
こういう場合に傍観者から見て最も滑稽《こっけい》に思われることは、この有機的体系の素材として使用された素材自身、もしくはその供給者が、その素材を使って立派なものを作り上げ、そうして名工としての栄誉を博した陶工に対して不平|怨恨《えんこん》の眼を向けるという事実である。つまり言わば某陶工が帝展において金牌《きんぱい》を獲たときにその作品に使われた陶土の採掘者が「あれはおれが骨折って掘ってやった土をそっくりそのまま使って、そうした金牌をせしめておきながら涼しい顔をしている」と言って憤慨するのと似たことが実際にしばしば起こるのである。あるいはまた、陶土採掘者が平気でいて
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