しい姿だけが明瞭《めいりょう》に印象に残っている。それは、たしか先代の左団次《さだんじ》であったらしい。そうして相手の弁慶はおそらく団十郎《だんじゅうろう》ではなかったかと思われるが、不思議と弁慶の印象のほうはきれいに消えてなくなってしまっている。しかし時の敗者たる知盛の幽霊に対して、子供心にもひどく同情というかなんというかわからない感情をいだいたものと見えて、そういう心持ちが今でもちゃんと残留しているのである。
芝居茶屋というものの光景の記憶がかすかに残っている、それを考えると徳川時代の一角をのぞいて来たような幻覚が起こる。
芝居がはねて後に一同で銀座までぶらぶら歩いたものらしい。そうして当時の玉屋《たまや》の店へはいって父が時計か何かをひやかしたと思われる。とにかくその時の玉屋の店の光景だけは実にはっきりした映像としていつでも眼前に呼び出すことができる。
夜ふけて人通りのまばらになった表の通りには木枯らしが吹いていた。黒光りのする店先の上がり框《がまち》に腰を掛けた五十歳の父は、猟虎《らっこ》の毛皮の襟《えり》のついたマントを着ていたようである。その頭の上には魚尾形《ぎょびけい》のガスの炎が深呼吸をしていた。じょさいのない中老店員の一人は、顧客の老軍人の秘蔵子らしいお坊っちゃんの自分の前に、当時としてはめったに見られない舶来の珍しいおもちゃを並べて見せた。その一つはねずみ色の天鵞絨《びろうど》で作った身長わずかに五六寸くらいの縫いぐるみの象であるが、それが横腹の所のネジをねじると、ジャージャーと歯車のすれ合う音を立てながら走りだす、そうしてあの長い鼻を巧みに屈伸して上げたり下げたりしながら勢いよく走るのである。もう一つは毛深い熊《くま》があと足を前に投げ出してすわっている、それが首と前足とを動かして滑稽《こっけい》な格好をして踊りだすと腹の中でオルゴールのかわいらしい音楽が聞こえて来るのである。
父がもしかしたら、どれか一つは買ってくれるかと思っていたが、ねだるのにはあまりに立派すぎる貴族的なおもちゃなので遠慮していたら、やはりとうとう買ってくれなかった。それから人力《じんりき》にゆられて夜ふけの日比谷御門《ひびやごもん》をぬけ、暗いさびしい寒い練兵場わきの濠端《ほりばた》を抜けて中六番町《なかろくばんちょう》の住み家へ帰って行った。その暗い丸《まる》の
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