めようとして、それがために貴重な生命をおとしても悔やまないようになる。それで、事によるとデパートのはやる理由のことごとくが必ずしも便利重宝一点張りのものでもないかもしれない。そうでないとすると小売り商の作戦計画にはこの点を考慮に入れなければなるまい。
デパートアルプスには、階段を登るごとに美しい物と人との「お花畑」がある。勝手に取って持って来ることは許されないが、見るだけでも目の保養にはなる。千円の晴れ着を横目ににらんで二十銭のくけひもを買えば、それでその高価な帯を買ったような不思議な幻覚を生ずる事も可能である。陳列されてある商品全部が自分のもので、宅《うち》へ置ききれないからここへ倉敷料なしのただで預けてあると思えば、金持ち気分になりすますことも容易である。入用なときはいつでも「預かり証」と引き換えに持って帰ることができるのである。ただ問題は、肝心の時にその「預かり証」がなくなっていることである。
アルプスにも山火事があるように、デパートにも火事がある。山火事は谷から峰へと燃え上がるが、また上から下へも燃えて行く。しかし、デパートの火事は下へは燃えないで、上へばかり燃え抜けるから、逃げ道さえあいていれば下へ逃げればよい。下へ逃げそこなったら頂上の岩山の燃え草のない所へ行けば安全である。白木屋《しろきや》の火事の時に、屋上が焼け落ちるかもしれないと言っておどかす途方もない与太郎があったそうであるが、鉄筋コンクリートの岩山は火には決して焼けくずれない。しかも熱伝導がきわめて悪いから下で半日焼けても屋上でははき物をはいた足の裏を焼けどする心配もない。窓からのぼる煙が渦巻いて来たら床の面へ顔をつければよいかと思われる。しかし、それも何千人と折り重なっては困るであろうし、また満員のデパートに急な火が起これば階段が人間ですし詰めになって閉塞《へいそく》してしまう恐れがある。映画館の火事でそういう実例がたびたびあった。そういう時にいちばんだいじなのは遭難者の訓練であるが、いちばんむつかしいのもまたその訓練である。
火事は物質の燃焼する現象であるからやはり一種の物理化学的現象である。この現象は日本には特別多い。それだのに日本の科学者で火事の研究をする人の少ないのは不思議である。西洋の大学のどこにもまだ火災学という名前の講義をしている所がないからであるかもしれない。それはとに
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