画で置換えられるであろう。全級一度に教授することによって教員の手が明《あ》く。先生方はそうして得らるる時間の余裕を利用して色々な教材の映画シナリオの共同編纂に従事することになるであろう。それらの試作映画を文部省かどこかで検定し、優秀なものは全国に配布することも出来るであろう。これは夢のような話ではあるが、しかし実現の可能性のない夢とは思われない。
いわゆる思想善導の問題でも、あらゆる方法の中で最も有効有力なものは、適当な映画の制作であろうと思われるが、これについては余白がないからここれは触れない。しかしうかうかしていると、色々な妙な思想がフィルムの形になって外国から続々入り込んで全国に燃え拡がるのは事実である。
現代一部の日本人をすっかりヤンキー化させたものはほとんど全く映画の力だと云っても誇張ではあるまい。実に恐るべきことである。それだのに我国の文教の枢府ではこの事実に無神経である。
映画などは不良少年少女の見るものであるといったような時代放れのした気持が、いわゆる教育家や、特に真面目な中堅人士の間にいくらかでも残っている間は教育映画の時代は廻《めぐ》って来ないであろう。現在の映画ファンの中の堅実な分子の中から総理大臣文部大臣以下各局長が輩出する時代が来て始めて私の夢は実現されるかもしれない。しかしそういう日の来ないうちに不良映画の不良教育を受けた本当の不良が天下を溺《おぼ》らすようにならないとは限らない。そうならないためには、今から教育者の地位にある当局者は、この眼前の生きた現象を徒《いたずら》に回避する代りに、これに直面してもう少し積極的な手段を取るべきではないか。あえて本誌の読者の一考を煩わしたいと思った次第である。[#地から1字上げ](昭和七年八月『公民教育』)
底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店
1997(平成9)年7月7日発行
初出:「公民教育」
1932(昭和7)年8月1日
※初出時の署名は「吉村冬彦」です。
入力:Nana ohbe
校正:しだひろし
2006年12月22日作成
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