K市の姉からだとすると、一つ思い当たる事があった。彼女が去年まで家を貸してあった中学教師のスイス人が毎年いろんな草花を作っていた。半分は楽しみであったろうが半分は内職にしているらしいという事であった。なんでも草花の種や球根を採ってはY港のある商館へ売り込みに行くらしかった。その西洋人が去年シャンハイへ転じて行く時に、姉の貸し家の畑へ置きみやげにいろいろなものを残して行っただろうという事は、きわめてありそうな事である。それがことしたくさん蕃殖《はんしょく》したのでこちらへも分けてよこしたものだろう。
そう考えると堅吉の頭の中が急に明るくなるような気がした。同時にこの球根がなんだという事もはっきりわかったような気がした。「そうだ、フリージアだ。フリージアに相違ない。」
彼の意識の水平線のすぐ下に浮いたり沈んだりしていたこの花の名が急にはっきり浮き上がって来た。それと同時に彼は始めに小包をひらいてこの球根を見た瞬間から、すでにもう「フリージア」という名がすぐ手近な所に隠れていたように思われだした。意識の深い奥のほうからこれが出よう出ようとするのを、不思議な、ほとんど無自覚な意志の力で無理に押えていたのだというような気がした。
なぜ「フリージア」という名が突然に現われたか。それには積極的と消極的と二つの理由があった。第一前に言ったスイス人がいろいろの花のうちでもなかんずくたくさんにこの花を作っているという事を姉から聞いていた。その時に姉がこの名を妙な発音で言った事も彼に特殊な印象を強めたのであった。それでこの名がこの西洋人と球根という組み合わせに密接な連合をしていたのであった。もう一つの消極的な理由はこうである。
堅吉は二三年前に今の家に引っ越してから裏庭へ小さな花壇のようなものを作って四季の草花などを植えていた。去年の秋は神田の花屋で、チューリップと、ヒアシンスと、クロッカスとの球根を買って来て、自分で植えもし、堀り上げもしたので、この三つのものはよく知っていた。そのほかにまだグラジオラスの根やアネモネの根もずっと前に見た記憶があった。これに反して、偶然な回り合わせでフリージアの根だけはまだ見た事がなかったのであった。これまで花屋で鉢植《はちう》えの草花などを買う時に、この花は始終に目をつけていたにかかわらず、いざ買うとなると、どういうものか、自分にはわからない不思議な動機でいつも他の花を買うのであった。品のいい、においのいい花だと思ってほしがっているくせに、いつでもそばの派手な花に引きつけられていた。それで彼はこれまで一度もこの花を自分の家の中に持った事もなく、それがどんな根をもっているかも知らなかった。ただそれが球根であるという事だけを単なる知識として知っていただけである。
今そう思って見ると、この球根はそれ自身でいかにも、花として彼の知っているフリージアに適切なものらしく思われて来た。彼は球根のにおいをかいでみたりした。一種の香はあったがそれは花のにおいを思い出させるものではなかった。
フリージアだとすると、どこへ植えたものだろうと思って考えていた。彼の過敏になった想像はもうそれが立派に生育して花をつけたさまを描いていた。某画伯のこの花を写生した気持ちのいい絵の事をも思い出したりしていた。
再び通りかかった細君に「オイわかったよ、フリージアだよ、これは……」と言って説明しようとした。それからまた老母の所へ行って植え付け場所を相談したりした。
翌日になるとはたしてはがきが来た。球根はフリージアに相違なかったが、差出人は堅吉の思いもかけない人であった。それはK市ではなくてA村の姉の三男が分家している先からであった。平生は年賀状以外にほとんど音信もしないくらいにお互いに疎遠でいた甥《おい》の事は、堅吉の頭にどうしても浮かばなかったのであった。
しかしこう事実がわかってみると、堅吉の頭は休まる代わりにかえってまた忙しくならなければならなかった。
第一には手跡の問題であった。小包のあて名の字は甥らしかった。それがどうしてK市の姉の手紙のあて名に似ているかが不思議であった。もしK市の姉の孫――この姉のむすこはなくなっていた――が手紙のあて名を書いたのだとすると、それがどうしてこれほどまでよく、その子供の父の従弟《いとこ》のに似ているかが不思議であった。しかしA村の甥《おい》がK市の姉すなわち彼の伯母《おば》のために状袋のあて名を書いてやったという事もずいぶん可能で蓋然《がいぜん》であるように思われた。しかしふたつの手跡は似ていると言いながら全く同じであるとは考えにくい点もないではなかった。
もう一つのわからない事は、平生別に園芸などをやっているらしくもない――堅吉にはそう思われた――甥《おい》がどうしてフリージアの根などをよこしたかが不思議に思われた。どうも、このフリージアの種は、やはりK市の姉のほうから縁を引いたものではないかと思われてしかたがなかった。夫婦暮らしで比較的閑散な田園生活を送っている甥が、西洋草花を栽培しているのは自然な事だと思うだけではなんだか物足りないように思われるのであった。
堅吉はすぐ甥にあててはがきを書いて、受取と礼の言葉を述べた末に、手跡の不思議と球根の系図に関する想像を書いてやった。
なんとか返事があるかと思って待っていたが十日たってもついに来なかった。考えてみると彼は別に返事を要求するようなふうの書き方をしたわけではなかった。少なくも甥のほうではそうは取らなかったに相違ない。
もう一度わざわざそんなことを聞いてやるのも、おかしいと思ってそれきりにしてしまった。
花壇の縁に植えた球根はじきに芽を出して勢いよく延びて行った。堅吉はこの草の種を絶やさないでおけば、いつかは彼の「不思議」を明らかにする機会が来るだろうと思っている。しかしそれは――だれが知ろう。
自分の内部の世界のすみからすみまでを照らし尽くすような気がしても、外の世界とちょっとでも接触する所には、もう無際限な永遠の闇《やみ》が始まる、という事がおぼろげながらも彼の頭に芽を出しかけていた。
[#地から3字上げ](大正十年一月、改造)
底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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