し得られる問題であろうと思われる。

     二 九官鳥の口まね

 せんだって三越《みつこし》の展覧会でいろいろの人語をあやつる九官鳥の一例を観察する機会を得た。この鳥が、たとえば「モシモシカメヨカメサンヨ」というのが、一応はいかにもそれらしく聞こえる。しかしよく聞いてみると、だいたいの音の抑揚《アクセント》と律動《リズム》が似ているだけで、母音も不完全であるし、子音はもとより到底ものになっていない。これは鳥と人間とで発声器の構造や大きさの違うことから考えて当然の事と思われる。問題はただ、それほど違ったものが、どうして同じように「聞こえる」かということである。思うに、これに対する答えはざっと二つに分析されるべきである。その一つは心理的な側からするものであって、それは、暗示の力により、自分の期待するものの心像をそれに類似した外界の対象に投射するという作用によって説明される。枯れ柳を見て幽霊を認識する類である。もう一つの答解は物理的あるいはむしろ生理的音響学の領域に属する。そうしてこれに関してはかなり多くの興味ある問題が示唆されるのである。
 われわれの言語を言語として識別させるに必要な要素としての母音や子音の差別目標となるものは、主として振動数の著しく大きい倍音、あるいは基音とはほとんど無関係ないわゆる形成音《フォルマント》のようなものである。それで考え方によっては、それらの音をそれぞれの音として成立せしめる主体となるものは基音でなくてむしろ高次倍音また形成音だとも言われはしないかと思う。
 こういう考えが妥当であるかないかを決するには、次のような実験をやってみればよいと思われる。人間の言葉の音波列を分析して、その組成分の中からその基音ならびに低いほうの倍音を除去して、その代わりに、もとよりはずっと振動数の大きい任意の音をいろいろと置き換えてみる。そういう人工的な音を響かせてそうしてそれを聞いてみて、それがもし本来の言葉とほぼ同じように「聞こえ」たとしたなら、その時にはじめて上記の考えがだいたいに正しいということになるであろう。
 これはあまりにも勝手な空想であるが、こうした実験も現在の進んだ音響学のテクニックをもってすれば決して不可能ではないであろう。
 それはとにかく、以上の空想はまた次の空想を生み出す。それは、九官鳥の「モシモシカメヨ」が、事によると、今ここで想像したような人工音製造の実験を、鳥自身も人間も知らない間に、ちゃんと実行しているのではないかということである。
 この想像のテストは前記の人工音合成の実験よりはずっと簡単である。すなわち、鳥の「モシモシカメヨ」と人間のそれとのレコードを分析し、比較するだけの手数でいずれとも決定されるからである。
 こうした研究の結果いかんによっては、ほととぎすの声を「テッペンカケタカ」と聞いたり、ほおじろのさえずりを「一筆啓上仕候《いっぴつけいじょうつかまつりそろ》」と聞いたりすることが、うっかりは非科学的だと言って笑われないことになるかもしれない。ともかくも、人間の音声に翻訳した鳥の鳴き声と、本物とのレコードをたんねんに比較してみるという研究もそれほどつまらない仕事ではないであろうと思われるのである。
[#地から3字上げ](昭和九年十月、科学知識)



底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
   1993(平成5)年10月15日第61刷発行
※また、底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
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