学位について
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)あまり目出度《めでた》からぬ名前
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(例)[#地から1字上げ](昭和九年四月『改造』)
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「学位売買事件」というあまり目出度《めでた》からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑《にぎ》やかで無味な空虚の中に振り播《ま》かれた胡椒《こしょう》のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。
学位などというものがあるからこんな騒ぎがもち上がる。だからそんなものを一切なくした方がよいという人がある。これは涜職者《とくしょくしゃ》を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉を食うなというような議論ではないかと思われる。
こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こういう言葉は誰かが言い出すときっと流行するという性質をはじめから具有した言葉である。それは、既に博士である人達にとっても、また自分で博士になることに関心をもたない一般世人にとっても耳に入りやすい口触わりの好い言葉だからである。ただ、これから学位を取ろうとしている少数の若い学者と、それらの人々の学位論文を審査すべき位置にある少数の先輩学者との耳には一つの警鐘の音のように聞こえる言葉である。
しかし、この流行言葉《はやりことば》を口にする人の中で、本当に学位濫造の事実があるかないかを判断するだけの資料と能力をもっている人がどれだけあるかは極めて疑わしいと思われる。
学位を受ける人の年ごとの数が大きいということだけでは少しも濫造の証拠にはならない。何とならば、学術を真剣に研究する研究者の数が増加すれば、そのうちで相当立派な成績をあげて学位授与に十分な資格を具備する人の数も増加するのは数理的に当然のことだからである。多数の研究者のうちで、何かしら一つの仕事に成功して学位を得る人の数が研究者全体の数に対する統計的比率を不変と仮定しても、研究者の総数がN倍になれば博士の数もN倍になる。のみならず、競争が劇しくなるために研究者の努力が劇しくなればこの比率も増加しないとは限らない。一方ではまた、審査する方が濫造の世評を顧慮して審査の標準を高め、上記の比率を低下させるようにするか
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