では、元来どこでもいったいに強くない夏の季節風が、地勢の影響のために特に弱められている。そのために海陸風が最も純粋に発達する。従って風の変わり目の無風が著しく現われるのである。夕なぎに対して朝なぎもあるが、特に夕なぎの有名なのはそれが気温の高い時刻であるがためであろう。
夕なぎの継続時間の長短はいろいろな事情にもよるが海岸からの距離がおもな因子になる。すなわち海岸から遠くなるほどなぎが長くなるわけである。
東京では、夏の暑い盛りに天気のいい日だと夕方涼しい南がかった風が吹くので、瀬戸内海地方のような夕なぎの苦しみを免れている。八月ごろの東京の風の一日じゅうの変化を調べてみると、やはり海陸風に相当する規則正しい風の周期的変化があるが、ただ東京では日々変化の位相が著しくくずれているのと、夏期の南東の季節風がかなりよく発達しているために、夕なぎに相当する時刻にはこの季節風のほうが著しく現われて来るのである。
いったい地球の雰囲気《ふんいき》が太陽のために週期的にあたためられるために雰囲気全体の振動が起こり、それが一面には気圧の週期的変化となり、また一面には地球上至るところの風の週期的変化として現われるはずである。たとえば地球が全部大洋かあるいは陸地におおわれていたらこういう原因から起こる一日じゅうの弛張《しちょう》が純粋に現われるかもしれないが、日本の沿岸のような所では地方的な海陸風に相当するものが、各季節を通じてあまりに著しく発達して、上のような地球に関するものがほとんど全くおおい隠されているように見える。
要するに日本の沿岸ではいかなる季節でも、風の日々変化するのを分析すると、海陸風に相当する風の弛張がかなり著しく認められるが、実際にいわゆる海陸風として現われるのは、季節風の弱い時季か、あるいは特別な気圧配置のために季節風が阻止された場合である。
それで、各地方でこういう風の日々変化の習性に通じていれば、その変化の異常から天気の趨勢《すうせい》を知る手がかりが得られるわけである。たとえば東京で夏の夕方風がなげば、それは南がかった風の反対するような気圧傾度が正常の傾度に干渉している、すなわち太平洋のほうの気圧が比較的低下した、と考えていい場合が多いだろうと思われる。またたとえば広島へんで夏の夕方相当に著しい風が吹けばその風の方向から、地方的影響を除いた一般的気
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