ったかこの仏書の所でフランスの飛行将校が小説か何かをひやかしているのを見かけた事がある。その時ただなんとなしにいい気持ちがした。この将校の顔から髪から髯《ひげ》からページを繰る手つきから、大きく肥《ふと》った指先までが、その書物と自然に調和して全体が一つのまとまった絵になっていた。今の日本の書物はどことなくイギリスやアメリカくさいところがある、そして昔の経書や黄表紙がちょんまげや裃《かみしも》に調和しているように今の日本人にはやはりこれがふさわしいような気がする。
フランスの文学美術書が科学書といっしょに露店式に並べてある所がある、シャバンヌやロダンが微分積分と雑居してそれにずいぶんちりが積もっている事もある。それはいいがその隣にガラスの蔽蓋《おおいぶた》をして西洋向きの日本書を並べたのがある。あれを見ると自分はいつでもドイツで模造した九谷焼《くたにや》きを思い出す。
自分の専門に関係した科学の書籍をあさって歩く時の心持ちは一種特別なものである。まじめであると同時に at home といったような心持ちであるが、しかしそこには自分の頭にある「日曜日の丸善」というものが生ずる幻影はな
前へ
次へ
全33ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング