であることは自明的である。五官を杜絶《とぜつ》すると同時に人間は無くなり、従って世界は無くなるであろう。しかし、この、近代科学から見放された人間の感覚器を子細に研究しているものの目から見ると、これらの器官の機構は、あらゆる科学の粋を集めたいかなる器械と比べても到底比較にならないほど精緻《せいち》をきわめたものである。これほど精巧な器械を捨てて顧みないのは誠にもったいないような気がする。この天成の妙機を捨てる代わりに、これを活用してその長所を発揮するような、そういう「科学の分派」を設立することは不可能であろうか。こういう疑問を起こさないではいられないほどにわれわれの感覚器官はその機構の巧妙さによってわれわれを誘惑するのである。もしも、そういう学問の分派が可能だとすれば、それはどういう方面にその領域を求めるべきであろうか。この問題より前にまず五官による認識の本質的特徴に注目する必要がある。
思うに五官の認識の方法は一面分析的であると同時にまた総合的である。たとえば耳は音響を調和分析にかける。そうして、めんどうな積分的計算をわれわれの無意識の間に安々と仕上げて、音の成分を認識すると同時に、
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