いる他の国では、存外三千年に一度か、五千年に一度か、想像もできないような大地震が一度に襲って来て、一国が全滅するような事が起こりはしないか。
これを過去の実例に徴するためには、人間の歴史はあまりに短い。
その三千年目か、五千年目は明日《あす》にも来るかもしれない。
その時には、その国の人々は、地震国日本をうらやむかもしれない。[#地から1字上げ](大正十三年五月、渋柿)
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晩春の曇り日に、永代橋《えいたいばし》を東へ渡った。
橋のたもとに、電車の監督と思われる服装の、四十恰好の男が立っていた。
右の手には、そこらから拾って来たらしい細長い板片《いたぎれ》を持って、それを左右に打ちふりながら、橋のほうから来る電車に合図のような事をしていた。
左の手を見ると、一疋の生きた蟹《かに》の甲らの両脇を指先でつまんでいる。
その手の先を一尺ほどもからだから離して、さもだいじそうにつまんでいる。
そうして、なんとなくにこやかにうれしそうな顔をしているのであった。
この男の家には、六つか七つぐらいの男の子がいそうな気がした。
その家はここからそんなに遠くない所にありそうな気がした。[#地から1字上げ](大正十三年六月、渋柿)
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[#図4、挿し絵「火鉢を囲む二人」]
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三、四年前に、近所の花屋で、小さな鉄線かずらを買って来て、隣家との境の石垣の根に植えておいた。
そのまわりに年々生い茂る款冬《かんとう》などに負かされるのか、いっこうに大きくもならず、一度も花をつけたことは無かった。
去年の秋の大地震に石垣が崩れ落ちて、そのあたりの草木は無残におしつぶされた。
しかし、不思議につぶされないで助かった鉄線かずらに今度初めて花が咲いた。
それもたった二輪だけ、款冬の葉陰に隠れて咲いているのを見つけた。
地べたにはっているつるを起こして、篠竹《しのだけ》を三本石垣に立て掛けたのにそれをからませてやったら、それから幾日もたたないうちに、おもしろいように元気よくつるを延ばし始めた。
少し離れた所に紅うつぎが一本ある。
去年は目ざましい咲き方をして見せたのに、石垣にたたきつぶされて、やっと命だけは取り止めたが、花はただの一輪も咲かなかった。[#地から1字上げ](大正十三年七月、渋柿)
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大道で手品をやっているところを、そのうしろの家の二階から見下ろしていると、あんまり品玉がよく見え過ぎて、ばからしくて見ていられないそうである。
感心して見物している人たちのほうが不思議に見えるそうである。
それもそのはずである。
手品というものが、本来、背後から見下ろす人のためにできた芸当ではないのだから。[#地から1字上げ](大正十三年八月、渋柿)
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「二階の欄干で、雪の降るのを見ていると、自分のからだが、二階といっしょに、だんだん空中へ上がって行くような気がする」
と、今年十二になる女の子がいう。
こういう子供の頭の中には、きっとおとなの知らない詩の世界があるだろうと思う。
しかしまた、こういう種類の子供には、どこか病弱なところがあるのではないかという気がする。[#地から1字上げ](大正十三年八月、渋柿)
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白山下《はくさんした》へ来ると、道ばたで馬が倒れていた。
馬方が、バケツに水をくんで来ては、馬の頭から腹から浴びせかけていた。
頸《くび》のまわりには大きな氷塊が二つ三つころがっていた。
毎年盛夏のころにはしばしば出くわす光景である。
こうまでならないうちに、こうなってからの手当の十分の一でもしてやればよいのにと思うことである。
曙町《あけぼのちょう》の、とある横町をはいると、やはり道ばたに荷馬車が一台とまっていた。
大きな葉桜の枝が道路の片側いっぱいに影を拡げている下に、馬は涼しそうに休息していた。
馬にでも地獄と極楽はあるのである。[#地から1字上げ](大正十三年九月、渋柿)
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向日葵《ひまわり》の苗を、試みにいろんな所に植えてみた。日当たりのいい塵塚《ちりづか》のそばに植えたのは、六尺以上に伸びて、みごとな盆大の花をたくさんに着けた。
しかし、やせ地に植えて、水もやらずに打ち捨てておいたのは、丈《たけ》が一尺にも届かず、枝が一本も出なかった。
それでも、申し訳のように、茎の頂上に、一銭銅貨大の花をただ一輪だけ咲かせた。
この両方の花を比較してみても、到底同種類の植物の花とは思われないのである。
植物にでも運不運はある。
それにしても、人間には、はたしてこれほど
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