ひびかぬ動作とひびく動作がある。それでこの特別な筋が平生いかなる動作にいかなる程度に動員されているかということが実によくわかった。健康な場合には到底わからないことである。物の効用は、それが失われてみて始めてよくわかるという一例である。
すわったり腰かけたりして、物を書こうとするとやはりこの筋肉が引きつって痛む。
物を書くのには頭と眼と手だけでいいと思っていたのは誤りであった。書くという仕事にはやっぱり「腹」や「腰」も入用なのである。意外な「発見」であった。
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からだの自由に動かせない病気で十日も寝ているとむやみにかんしゃくが起こっておもしろい。今朝は呼び鈴のコードを手近に置くべきのをだれかが遠くに押しのけてあったので大声でオーイオーイと呼んだが階下にいる五人のだれにも聞こえない。臥床《ふしど》の脇に置いてあるステッキでやけに障子や敷居をたたいて呼んでもまだ聞こえない。障子と敷居をいいかげん疵《きず》だらけにしたころに、細君が上がって来た。
「お隣に大工さんが来て仕事しているのだと思った」そうである。
子供の時分に親戚《しんせき》や知人の家に中気《ちゅうき》でからだの不随な老人がいて、よくかんしゃくをおこしているのを見た。家族はもうすっかり馴れっ子になってほどよくあしらっているだけである。それがまたいっそう老人の不満をつのらせるらしかった。
今度の病気で昔の中風老人たちを想い出して、この天下に普遍な家庭小悲喜劇の心理分析を試みる機会を得た。
亡友K君が眼病で手術をして一時失明したことがあった。かんしゃくが起こりはしないかと聞いたら、それどころか反対に一生懸命細君にもその他の家族にも従順にしてきげんをそこねないようにしているという。どうしてかと聞くと、もしや今家族に見放されたらたいへんだという気がして、自然にそうなるのだということであった。
自分の場合のかんしゃくは結局、病気がたいした事でないという潜在的な自覚から、いくらやんちゃを言っても家族が大丈夫|遁《に》げ出さないという自負心を獲得しているせいかもしれない。
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明治時代の青年における「星」「すみれ」の流行と近代ボーイにおけるマルキシズムのそれとはその原動力となる情熱の感傷的な点ではほとんど大差ないもののような気がする。ただ理論で裏づけられたヒステリック感傷は治療がいっそうめんどうなようである。
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イタリアとエチオピアとの葛藤が永びいて、ほとんど毎日のようにムッソリニの顔が新聞に出る。毎日見ているとその顔がだんだんにナポレオンの顔に似てくる。実際どこかよく似ているのである。
伊軍の飛行機を輸送船に積み込むというので翼を取りはずした機体を埠頭《ふとう》に並べてある光景の写真が新聞に出ていた。その機体の形が蝗《いなご》そっくりである。見れば見るほどよく似てくる。
黙示録のいなごが現世に現われたのである。
形の似たものにはやはり性能にもどこか似たところがあるようである。
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エチオピア事件でほとんど毎日毎夕の新聞に伊国首相や、エ国皇帝、それから国際聯盟の英仏代表イーデン、ラバールの肖像が出る。
日本の内閣に何か重大な事件でもあると岡田首相や陸相海相の顔が毎日のように新聞の紙面の相当な面積を占めて出現する。
ちょっとわれわれには了解のできにくい現象である。新聞の読者というものは恐ろしく健忘性なものであると仮定するか、あるいはまた新聞購読者の大多数は、ほんの気まぐれに、十日に一度|二十日《はつか》に一度ぐらいその日の新聞を買って見るだけである、ということでも前提に置いて考えてみなければ全くわけのわからない「煩雑」であり「浪費」である。
もっともこうしないと「その日その日主義」とも訳されるジャーナリズムの「気分」が出ないのかもしれない。
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秋晴れの午後二階の病床で読書していたら、突然北側の中敷窓から何かが飛び込んで来て、何かにぶつかってぱたりと落ちる音がした。郵便物でも外から投げ込んだような音であったが、二階の窓に下から郵便をほうり込む人もないわけだから小鳥でも飛び込んだかしらと思ったが、からだの痛みで起き上がるのが困難だから確かめもせずにやがて忘れてしまっていた。しばらくしてから娘が二階へ上がって来て「オヤ、これどうしたの」と言いながら縁側から拾い上げて持って来たのを見ると一羽の鶯《うぐいす》の死骸である。かわいい小さなからだを筒形に強直させて死んでいる。北窓から飛び込んで南側の庭へ抜けるつもりでガラス障子にくちばしを突き当てて脳震盪《のうしんとう》を起こして即死したのである。
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