》君は葡萄一株拾ったそうだが、僕は小鳥を一羽拾った。
 このあいだかなり寒かった朝、日の当たった縁側に一羽のカナリヤが来て、丸くふくれ上がって、縁の端の敷居につかまっていた。
 人を見ても逃げもせず、かえって向こうから近寄って来た。
 どこかにしまってあるはずの鳥籠を探しているうちに、見えなくなったと思ったら、納戸《なんど》の中へはいり込んでいた。
 籠に入れてから、さっそく粟を買って来て、それを餌函《えばこ》に入れてやろうとしていると、もう籠の中からそれを見つけてしきりに啼き立て、早くくれとでもいうように見えた。
 菜っ葉をやると、さもうまそうについばんでは、くちばしを止まり木にこすりつけた。
 日向《ひなた》につるしてやると朗らかに鳴きだしたが、声を聞いてみると立派なローラーである。
 猫の「ボウヤ」が十月に死んでから、妙にさびしくなった家が、これでまた急ににぎやかになったような気がして、それからは、毎朝新しい菜っ葉をやっては、玉をころがすような朗らかなワーブリングを聞くのが楽しみであった。
 ところが、今朝家人がえさを取り替える際に、ちょっとの不注意で、せっかくのこの楽しみを再び空に遁《にが》してしまった。
 惜しいというよりはかわいそうな気がした。
 夕方家へ帰って見ると、見馴れぬ子猫が一匹いる。
 死んだ「ボウヤ」にそっくりの白い猫である。
 今朝、どこからか迷って来たのが、もうすっかりなついてしまって、落ち着いているのだそうである。
 それを聞いた時に、ちょっと不思議な気がした。
 どうも以前に一度、やはり小鳥が死ぬか逃げるかした同じ日に、子猫が迷い込んで来たことがあったような記憶がある。それと同じ出来事が、今日再び繰り返して起こったような気がするのである。
 しかし、どうもはっきりしたことが思い出せない。
 あるいはよくあるそういう種類の錯覚かもしれない。
 拾ったと思ったら無くする、無くしたと思ったらもう拾っている。
 おもしろいと思えばおもしろく、はかないと言えばはかなくもある。
 この猫をひざへのせて夕刊を読んでいたら号外が来て、後継内閣組織の大命が政友会総裁に降《くだ》ったとある。犬養《いぬかい》さんは総理大臣を拾ったのである。
 遁《に》げたカナリヤもだれかに拾われなければ餓え死ぬか凍え死ぬだろうと思う。[#地から1字上げ](昭和七年一月、渋
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